動画『This will change you in exactly 60 seconds』を観て言いたくなったこと

この動画、もともとのタイトルは上の通りです。でも最初に出会ったのは、こちらの日本のサイトでした。

60秒後、あなたの行動を変える動画。変わらなかったらガッカリ

海外の様々な動画に、いかにも!なタイトルで視聴者を集めているサイトですが(苦笑)、はてわたしはどうだろうか、という興味で再生ボタンをクリックしました。

結論としては、わたしはおそらくこの動画をシェアしている多くの人たちの意図とはちがう意味で、動きました。なんだかこの違和感のようなものを書かずにいられなくなり、半月ぶりにブログを開いたのです。

わたしは映像評論家でもなんでもないので、この動画をあれこれジャッジするつもりはありません。
ただ、このように共感を呼び広まっていること、また、そこに残されているコメントなどを見れば見るほど、受け取り手に、圧倒的に足りないものがあると思いました。

それは子どもの気持ち、子どもの立場です。

children see. children do.

この言葉にズキンとしたのは、わたしも同じです。本当にその通りですから。

でも、

「子どもは被害者だ、かわいそうだ、自分たち大人がしっかりしなくては。今から自分の行動を見直そう。子どもたちのために。」

そんなふうに、ただ大人たちが盛り上がっているだけなのです。

この構図こそ、わたしは、子どもという存在が大人の自己啓発のために都合よくつかわれているにすぎないと感じます。

わたしたち大人は、このような痛々しい動画を見せつけられなければ、自分の行動を変えられないのでしょうか。
だとしたら、それこそが問題だと思いませんか?

「胸にささった、反省した。みんなも観て。」

その程度でシェアが広がっていくことが、なんだか・・・

ねえ、もう一歩、踏み込んでみて。

このような動画が制作されなければならない現状そのものに、もっと疑問を持つ人がいても良いのではないかと思うのです。



とは言え、わたしがもともと保育の道に進んだのは、自意識過剰で自分を「かわいそうな子ども時代を過ごした被害者」だと思っていて、自分のような被害者意識を持つような子どもを育てたくない、子どもを救いたい、という強い思いからでした。
いま思うと、「わたしは幼稚園の先生になるのが夢なんて思ったことない。子どもが大好きなわけじゃない。」と、周りとの違いをあえて強調したり、だからこそ使命だと思って燃えてみたり、そんな自分に酔っている時もあったような気がします(ああ、恥ずかしい)。

さらに思うのは、子どもを救いたいっていうより、ほんとうのところは自分自身のすべてを認め、許し、救いたかったんだろうなということ。



わたしは人の心や思考の成長について考え続けてきました。
とくに、信頼する方のもとで自らの過去と現在を行き来しながらの棚卸しとアウトプットを定期的に行ったこの1年〜2年くらい、たくさんの「思い込み」が外れ、新しい考え方がどんどん展開していくのはとても面白かったです。これは今も、日々継続中。

それで上記の「ほんとうのところは」にプラスして最近思うようになったのは、
わたしの思いって、エゴだったんだなあということ。

「わたしがしっかりしないと、子どもはみんな真似してしまうんだから、いつもお手本でいるべき」って思っていて、うん、たしかに保育のプロとしては当然あるべき考えなのですが、これってそのまま親子関係に持って行くと、かなりつらいことになるわけです。

でも今は情報過多で、先に答えを知ってしまう。

『育児は育自』

『教育は共育』


こういう言葉ばかりがひとり歩きして、実態がとらえられないまま、「頑張らなければいけない」「自分てダメだなあ」なんて、がんじがらめになっている保護者の方は世の中たくさんいるのではないでしょうか。

この言葉の発祥は知りませんが、「決して大人がえらいのではないよ、大人も子どもも一緒だよ」というあくまでもやさしいニュアンスのメッセージだったかもしれないのに、大人が過剰反応し、まるで教訓のようにとらえて自分の首をしめるようなつらい言葉という位置づけになってしまっていたら、とても残念なことです。

子どもは、助けてあげなくちゃいけない守るべき存在というよりも、ものすごくたくましい存在なんですよね。未熟だからこそケアやサポートは大切だけれど、本来はちょっとやそっとで折れない生命力や向上心を、みんなが持っているはずなのです。
大人がかわいそうって思っているからかわいそうな子になる。守らなきゃと思っているから、守ってもらわないと立てない子になる。

「わたしのせいでこの子はこうなってしまった」と後悔したいなら、とことん後悔すれば良いと思います。それは自由です。
でも、子どもにそのことは関係ない、その後悔を押し付けるべきではないということを覚えておく必要があります。
子どもには、今後彼らが彼ら自身で、感情も思考も行動も選択していける自由があるのですから。
わたしはその自由に気づいた時から、これをしっかり行使しています。
そう、かつて子どもだった大人たちも同じです。

みんなが自律した思考を持てたとしたら、ひとりの大人の人生が、ひとりの子どもの人生を傷つけることなんて、できないはず。大人どうしであっても同じだと思います。傷つける、傷つけられた、と言うけれど、自分の心をちゃんと自分の持ち物にしていたら、何を言われても人のせいにはできないし、ならないと思うのです。
悲しみや怒りの原因のほとんどが自分の中にあるものですが、それをすり替えて、「スイッチを入れた人」のせいにするというコミュニケーションで、わたしたちはもったいないことをたーくさんしているのではないでしょうか。


子どもにとって、近しい大人が美しい所作や言葉、笑顔をまとい、知性があり、愛情深い人間であるのに超したことはありません。
だから、紹介した動画の言いたいこともわかります。
これを観て本当に、行動を改める人もいるでしょう。

けれどその先に「自分が変わったのだから子どもも変わってくれるだろう」と期待するのなら、何かがずれているかもしれません。

自分は自分のために、自分がしたいからするだけ。

自分の行動とは切り離した上で、子どもの選択を見守り、信じて応援するだけ。

真のフェアな関係って、そういうことなのではないでしょうか。


…この記事、言いたいことが伝わるかどうか、あまり自信がないなあ。
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…なんて思いながらいったん下書きボックスに保存していたのですが、以前立ち読みしたこの本のことを思い出して、さきほど外出先で購入してきました。

間違いありません。これに、すべて書いてあります!対話形式なので読みやすいですし、わたしがごにょごにょ書いた上の文章より、すばらしく簡潔でわかりやすいです(笑)。

以下、目次より抜粋です。


トラウマは、存在しない

人は怒りを捏造する

過去に支配されない生き方

あなたの不幸は、あなた自身が「選んだ」もの

人は常に「変わらない」という決心をしている

自慢する人は、劣等感を感じている

「あの人」の期待を満たすために生きてはいけない

ほんとうの自由とはなにか

叱ってはいけない、ほめてもいけない

「勇気づけ」というアプローチ

人は「わたし」を使い分けられない

自己肯定ではなく、自己受容

人はいま、この瞬間から幸せになることができる

無意味な人生に「意味」を与えよ



…いかがでしょうか。

気になる一節だけでも、読む価値のある本。おすすめです。
by rapisblue2 | 2014-04-15 22:09 | まじめなお話
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