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安藤哲也さんと大葉ナナコさんのトークライブ(4)

※以前の記事は以下をご覧ください。
安藤哲也さんと大葉ナナコさんのトークライブ(1)
安藤哲也さんと大葉ナナコさんのトークライブ(2)
安藤哲也さんと大葉ナナコさんのトークライブ(3)



里親制度、特別養子縁組、普通養子縁組のちがいを知っていますか?

これは私もよくわかっていませんでした。大学の時に少しは勉強したことなのかもしれないのですが、申し訳ないことにまったく記憶にありませんでした・・・。当時はあまり関心がなかったのかもしれません。

普通養子縁組は、養親と養子の契約で整いますが、特別養子縁組は裁判所が「親子」と審判、宣言することが大きな違いです。
また特別養子縁組は、受け入れる男女が婚姻関係であることが条件ですが、普通養子縁組の場合は、単身でも可能となっています。

つまり特別養子縁組の場合は完全に夫婦の子ども家族として育てていくことになり、戸籍上も「長男、長女」等になります。対して、普通養子縁組の場合は、名乗るのは養親の名字ではありますが、戸籍上は「養子(養女)」と書かれ、親が2組存在することになるわけです。
けっこうフクザツですよね・・・。

養子縁組には「特別養子縁組」と「普通養子縁組」のふたつがあります。ふたつの違いは、実親と子どもとの関係です。
特別養子縁組は、委託された子どもが6歳未満で、原則として実親が同意している場合になされます。養親との親子関係を新たに結び、かつ実親との親子関係を解消することが、子どもにとって有益である、と家庭裁判所が認めた場合に成立します。
 実親との関係を法律的に絶ち、養父母との間に実親子と同様の関係を成立させることになり、戸籍の続柄記載も「長男・長女」等となります。

里親支援Webサイトより引用)


対して里親家庭は、あくまでも児童福祉法での措置を施設のかわりに一般家庭で行うもので、対象は18歳まで。実親との関係が継続され、里親と里子は家族関係には一切なりません。
里親には里親手当て、児童には養育費が出され、その他さまざまな援助・免除が受けられます。


対比の表も出ていて、とてもわかりやすくまとめられていますので、詳しくは以下のページをご覧いただくのがおすすめです。

特別養子縁組と普通養子縁組

里親と養子縁組の違い




なぜいま特別養子縁組か〜日本財団ハッピーゆりかごプロジェクトとその社会背景〜

上記の違いをふまえて、安藤さんと大葉さんが、まさにこれから勢力的に活動を広げていこうとされているのが、特別養子縁組で幸せな家族を増やすハッピーゆりかごプロジェクトです。私はここではっきり立場を書いておきますが、この考えに深く同意しますし、今後のPR活動などもできる限り追っていきたいと思っています。

シンプルに言えば、「子どもが欲しい、子育てしたいのに恵まれず悩んでいる夫婦」「望まない妊娠をして、出産を控えていても育てることができないとわかっている女性(カップル、夫婦)」とのマッチングをすすめ、双方にとっての幸せと、子どもの健全な育ちを支援するものです。一人で思い悩む女性を救い、施設入所の子どもを一人でも減らしていくことは、国の未来を大きく変えるムーブメントになりえます。


普通養子縁組、里親制度も、家庭の中で育つことができるという点では施設よりはずっといいのかもしれません。愛着関係の面でもそうですし、財政面もかなりの効果があります。
たとえば乳児院(0〜2歳児の措置施設)では、職員が交代で子どもたちの面倒を見ますが、そういった人件費を含め、なんと一人の赤ちゃんの養育に一ヶ月70万円かかるというお話が大葉さんからありました。1年間に3000人の赤ちゃんが乳児院に入っています。国としても大きな問題ですよね。

ただ、普通養子縁組の場合は、本当の親だと思っていたのに高校入試前に自分で初めて戸籍謄本をとりにいき、「養子」という文字を見て深く傷ついてしまうという例は後を立たないとのこと。また、里親から里子への虐待も問題になっています。

ショッキングだったのは、思い悩む女性、その多くが10代であり、彼女たちを放っておくと殺人や虐待として上がってくる上に、その子どもたちが乳児院、児童養護施設へ行くこととなるわけですが、児童養護施設出身者の10%がホームレスになっているという事実。そして、性風俗の7割が施設出身者であり、またその子どもが乳児院へと、二次的、三次的に問題は広がっていくという事実です。性風俗業界と施設出身者という闇のつながり、延々と続くループがあるということを初めて知り、愕然としました。私が信じてきた児童福祉って、私が誇りに思ってきたものって、一体何だったのか?さーっと血の気がひく思いでした。ああ、もう、ほんとうに。信じられない。でも事実なんです。


何よりも大切なことは、安定した愛着関係を育むということ。しかもできるだけ小さいうちから、本物の家族として育つということが、健全なコミュニケーション能力や肯定的な自己意識を育む上で必要なこと、というのはすでに世界基準なのです。
ひとつ前の記事でも触れましたが、米国、英国には乳児院というものがないそうです。国連も、児童福祉と言いながら施設での養育をだらだらと続けている日本にNOと意思表示をしているとのこと・・・。米国の社会福祉学では、「決まった人と愛着形成を育むべき」という考えがスタンダードになっているそうです。

また、米国人が日本のごく一般的な保育園の0歳児クラスを視察した際に、その光景に絶句したというエピソードがありました。0歳児がこんな施設にいるなんて、なんということか!!と。

私は米国滞在中、生後半年からベビーシッターに預けて働いていたお母さんの話を聞きましたので、「預ける」ことじたいは米国でもよくあることだと思います。でも、あくまでも「家庭的な環境」なのでしょうね。日本の保育園の場合、園にもよりますが、確かに「施設っぽい」ところは否めません。

日本では働く女性の子育て支援として様々な制度をつくり、保育サービスを展開しようとしていますが、大人の都合ばかりで、中には「子どもの姿」が全く感じられないものも少なくありません。
友人が勤めていた認定子ども園の実情をよく聞きましたが、あまりにもひどかったです。手が足りない、環境は整っていない、いつ何が起きてもおかしくない、保育者たちはストレスだらけ、保育者どうしのイジメも絶えない。聞いているだけで、本当に寒気がするような園でした。その友人は転職して地獄のような職場から逃れられましたが、現在もそういう保育現場が実在しているのですし、これから『子ども・子育て支援新制度』という名目でどんどん増えていくかもしれないのです。今後、保育所だけでなく幼稚園のあり方も変わっていきます。消費税増税とセットで、保育制度が大きく変わる可能性があります。関心を持つ、というところから始めませんか?

ところで、東京では江戸川区が唯一、保育園での0歳児保育を行っていません。訓練を受けた保育ママが家庭の中で面倒をみる形だそうです。これはもっと他の市町村が積極的に参考にしても良い事例ではないかと、私は思います。



自分が産んだ子ではなくても親になるのは可能なのか

今となっては隠すことでもないので言いますが、私は「もし自分に妊娠・出産の機会がなかったとしたら、養子をもらって育てるのも選択肢の一つ」と、普通に考えていました。別にどこか病気があるわけでもないのですが、20代前半頃から時々思っていたし、結婚してから夫にも言ったことがあります。さすがに、ちょっとびっくりしてましたね(笑)。穏やかな人なので、あくまでも「うーん、できれば、自分の遺伝子持った子がいいなあ。自分の親、じいちゃんばあちゃん、その前からずっと続いているものだから。」という感じでソフトに返ってきて、それはそれで嬉しかったのを覚えています。

もちろん自分と夫の遺伝子を持った子を授かれたら素敵です。でも、もしも、仕方ない、という状況になったら、本当にそれでもいいじゃないと思っていました。私は、児童相談所からの措置で入所してくる子どもたちの生活支援施設で働いていたので、詳しいルートや方法はわからずとも、まったく関係のない世界ではなかったんですよね。というか、彼らとの生活が日常だったので。
そして「赤ちゃんがほしい」というよりは、「いずれ子育てをしたい」という思いがまず第一だからだと思います。それは必ずしも自分が産んだ子でなくてもできる、という考えが自然にありました。

・・・まあ、こういう、変に落ち着いた考えがあるせいで、必死で「妊活」することもなかったのは、33歳目前になってちょっと反省しています。産婦人科医の大野明子氏は講演会で、「20代のうちに第一子を産みなさい!」と何度もおっしゃっていました。のんびりな我が家は、6年半前の結婚式のお祝いでいただいたベビーグッズ、いまだに使わず押し入れの中で、申し訳ないです。そりゃあ「どこか悪いの?」とか聞かれるわけです(笑)。

(誤解を招くかもしれませんので一言。我が家は今のところ不妊治療などはしていません。でも、もし本気で悩んで治療している夫婦だったら、ベビーグッズのプレゼントはかなりきつい冗談になっていただろうなあと思います。)


大葉さんから伺ったお話で、パーッと視界が開けたようになったエピソードがあったのでご紹介します。
米国人(夫)と日本人(妻)の夫婦が、不妊治療の末に、特別養子縁組を決意された時。女性が「血がつながっていない子を、本当に愛せるのか・・・」と不安を訴えたそうです。するとご主人はとてもびっくりして、こう言ったんだそうです。

「え? ぼくたちだって、つながってないじゃない! でも、こんなに愛し合っているじゃない!何が違うの???」


・・・いかがですか?
これ、血縁関係を重視する(そして血液型占いが大好きな)日本人にはけっこう目からウロコだと思うのです。この件に限らず、もしかしたら私たちが思い込みで損をしていることって、けっこうあるのかもしれませんね。



特別養子縁組の課題

これも国の文化背景が関わってくる話ですが、欧米では障害のある子どものほうが、障害のない子ども以上に養子縁組希望が寄せられるそうです。
対して、日本の現状では「少しでも障害の可能性がある場合はいらない」とか、「代々続く老舗の跡取りがほしいので、絶対に男の子がいい」など、実子であれば選択不可能なことを条件として提示してくる夫婦が少なくないそうです。気持ちはわかりますが、養子を迎えるということの、そもそもの捉え方が違うんですよね。残念ながら、赤ちゃんは待機しているのに、そのこだわり(ワガママ・・・)のためにうまくマッチングができないという実情があるとのことでした。
実母の出産をカーテン一枚隔てたところで手に汗握って待ち、誕生の瞬間その産声を聞き、0歳0日で赤ちゃんと対面して腕に抱き、ともに入院して赤ちゃんのケアを学び、はじめから親として子育てをスタートさせる・・・ということもあるそうですが、これはとても幸せな例ですね。

なお、「育てられない」と思っていたからこそ相談し、妊婦のうちから話をすすめてきたものの、いざ出産して赤ちゃんの顔を見たら「離したくない」「やっぱり自分で育てたい」「育てられないけど親権は渡したくない」
と言う母親もいるそうで、その心のケアとが必要なのは言うまでもありません。まずはその気持ちを受け止めつつ、一時の感情ではなく、本当に育てられるのか、冷静に検討していくことが求められるとのことでした。

大葉さんは、今後はステップアップファミリー(再婚同士)の願いを実現していく支援もしたいとおっしゃっていました。でも、私が受け取ったのは、やはり「子どもを救いたい」「この社会を変えたい」という熱い想いです。
日本の新生児の死亡のうち最も多いのは0歳0日。誰にも言えず、自宅の自分の部屋でひとりで出産してそのまま殺めてしまったり、そのつもりがなくても対処できず放置して死亡させてしまったりという「虐待死」と言われるものです。これをとにかく減らさなければいけない。私たちがこうしている今も、それは起こっているかもしれません。
つらいのは、たとえば高校生が妊娠した場合、妊娠した女子は100%退学になり、相手が誰かわかったとしても、男子はそのまま在籍し続けることができるということ。このお話は、私の疑問と憤りがふくれあがった瞬間でした。

もしも今、妊娠したことを誰にも言えず、追いつめられて困っている人がいて。
もしも今、不妊治療を続けてもなかなか授からず、あきらめようとしているご夫婦がいて。
こういった社会背景を知り、ほんの少しでも希望を抱く方がいたら。


ぜひ一度、このプロジェクトの扉をたたいてみてほしいと思います。

このブログが、必要な方のもとに届くことを願っています。



トークライブの最後は安藤さんの絵本読み聞かせでした

ものすごい情報量だった2時間半。しっとりとしたバックミュージックとともに、大葉さんの活動を応援するような、とてもあたたかい安藤さんの語りが沁み入り、ふっと力が抜けたひとときでした。大葉さんは私の隣の席にいらして、参加者としてその読み聞かせを味わい、涙していらっしゃいました。

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すごーく、いい絵本でした。


:::

このイベントのすべてを書けたわけではありませんが、連載はここで終了することにします。

この記事を書いていくことで、単にその場に参加しただけでは感じなかった気持ち、思い至らなかったことなど、私自身もたくさんの気づきを得ることができました。そして、3月に開催される、バースセンス研究所の誕生学セミナーに申し込みをしました。
大葉さんや安藤さんの活動をこれからも応援していくと同時に、私自身もこれまでより広い視野で、「子ども」「親子」を見つめていきたいです。

最後に、特別養子縁組で素敵なご夫婦のもとに迎えられ、幸せいっぱいで育っている日本人のお子さんの笑顔に、米国で実際に出会えたこと。単なる偶然ではないなあと思います。彼女と彼女のパパ、ママに、心からの敬意と感謝、希望をこめて。

ありがとう!!
by rapisblue2 | 2014-01-23 20:51

日本財団公開研究会「こうのとりのゆりかごとSOS赤ちゃんとお母さんの相談窓口」

先日のトークライブで教えていただいた、関連する講演会に、後半1時間だけ参加してきました。日本財団の公開研究会としての開催です。日本財団ビルの一階ホールは、人で埋め尽くされていました。内容については、いただいた資料が手元にはあるのですが、それは次回の記事に補助的に使わせていただくとして、今日はひとまず、私が講演会の後半、実際に受け取ったものを通して感じていることのみにとどめます。
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慈恵病院(熊本市)の蓮田太二理事長の思い

蓮田氏は、「こうのとりのゆりかご」を日本初で創設され、30年にわたって、行き場のない赤ちゃんを家庭的な環境で育てるため、そして妊娠したことを誰にも言えずに臨月を迎えている若い女性たちの救済のために心を砕き、活動し続けてこられた方です。

同日、日本テレビ系列で15日に始まった連続ドラマ「明日、ママがいない」について、蓮田氏が放送中止を申し入れると発表したとのニュースがありました。
養護施設に預けられた子どもたちの人権を侵害し、施設に偏見を与える不適切な場面があるとのご指摘です。私はこのドラマを確認していませんが、読売新聞によれば

過去に赤ちゃんポストに預けられた設定の子役が「ポスト」のあだ名で呼ばれたり、施設職員役が、里親に気に入られるために子役に泣くことを強要する演出があったりすることなどを問題視している

とあります。
けれども、この記事じたい、蓮田氏にとっては「違う」ということになるでしょう。そもそも赤ちゃんポストなんて言い方は一部のメディアがつけたセンセーショナルなネーミングであって、蓮田氏は一言も言っていないそうなのです。印象操作って、こういうことを言うのかもしれませんね。蓮田氏も「ポストなんて赤ちゃんに失礼だ」という思いなのに、「赤ちゃんポストを作るなんて、人間をモノみたいに!!」「捨て子を助長する!」と批判が集まってくる。
日本テレビ側はというと、「最後まで見てほしい」というコメント。なんだかモヤモヤします。
この講演会の概要やインタビューについて、日本財団のブログにも記事がありましたので、ご覧いただければと思います。

放送倫理・番組向上機構に申し入れも 慈恵病院理事長、講演後に語る
http://blog.canpan.info/nfkouhou/archive/218



崩れていくプライド

今、私の中で児童福祉というもののあり方、児童福祉の施設で働いていたからこそ信じてきたもの、そこでがんばってきた自分のプライドなどが、ガラガラと音をたてて崩れています。でも不思議と怒りや悲しみはなくて。福祉の現場って本当に大変。身も心もつぎ込んでいる職員たちのしていることを、意味がないというつもりはありません。それは私自身、自分の過去を否定することになってしまいます。

そう。否定はしません。けれども、はたして私のしてきたことは、真に福祉と言えたのかどうか?
結局は国の制度の中だけで「福祉の仕事だと思って誇りを持って働いていた」っていうこと、それをすごく考えさせられたのです。

聞けば聞くほど、欧米からの批判が胸に刺さります。日本が戦後、戦災孤児の救済のために用意したままの形で稼働させ続けている、乳児院や児童養護施設という場所。それそのものが虐待である、という欧米の考え方を先日のトークライブで知り、愕然としました。欧米では施設そのものが全くないか、あってもごくわずかであり、ほとんどの赤ちゃんは里子や養子へつないで、あくまでも人は家庭環境で特定の大人との愛着関係を結びながら育てるべきとされています。それが常識なのです。
施設出身者の性犯罪や若年妊娠が多いという事実があり、つまり児童福祉施設が社会問題の温床になっている。命を救うだけでなく、この悪循環を断ち切らなくてはならない、という趣旨のお話もありました。


施設。本当にそれは子どもたちのためなのか。
本当に本当に??
福祉とは何か。
誰かを救っているような気持ちになって、でもそれが幻想だとしたら?

自己満足という言葉が頭に浮いています。

だれかのため。点だけで見つめていると、満足できてしまうのです。それが悪いこととは思いません。
とはいえ、福祉従事者は、本来もっともっと広い世界を見ることだってできるのですよね。

保育士って保育園の先生というイメージが強いと思いますが、私は児童教育を学んでいた学生時代から、そういう保育士にはならないとなんとなく思っていて、やはり予想通り一般的ではない、変わったキャリアをたどってきました。
そのことが実はずっとコンプレックスでもあったけれど、保育現場一筋ではなかったからこそ持てた視点が確かにあり、それをベースに私らしいアプローチで子ども(親子)と関わっていく、こういう保育士がいてもいいんじゃないかと今は思えるようになりました。国会議事堂や首相官邸にほど近い日本財団ビルに出向くなんてことも、以前はしなかったですし。自分とは関係ないところと思っていたのです。まあ、年齢もあるのかもしれません。

「家庭で育てられないなら、家庭にかわる環境(=施設)で」と言うが、そんなのはまやかしだ。家庭以外に家庭があるか!とおっしゃったのは、蓮田氏の後にコメントをされた一般社団法人「命をつなぐゆりかご」代表理事の大羽賀秀夫氏でした。
すべての子どもは愛されるべき。健全な社会人として育てたい。中絶をしない、させない、産む人を見捨てない。
・・・これ以上ないほど明確です。個人的には、最後の中絶部分については、疑問というか女性としてひっかかる部分がなくもないのですが、私も勉強不足なのでもうすこし寝かせてみます。



社会の子どもをみんなで育てる

以前から違和感を持っていることがあるのです。学校や幼稚園の先生が、同僚たちとの会話の中で自分のクラスの子どもをさして言う「うちの子たち」という言葉。その言葉が持つ重たさを、先生たちはもっと自覚したほうがいいと思います。言葉の印象がいつのまにか与えているものって、とても大きい。言葉って、言われた相手だけでなく自分自身にもしみ込んでいくものですよね。「うちの子たち」と安易に言えば言うほど、そのつもりはなくても、大切な命をお預かりしているという責任感より「自分がやっている」という傲慢さが生まれ刷り込まれていくということが、充分に考えられます。

日本は所属意識、血縁関係(血のつながり)を重視する文化背景のために、社会の子どもを皆で育てていく視点が足りない。残念ながら現実を突きつけられた思いです。
あらゆる偏見、思い込みが根強い。もちろん、裏を返せば日本には日本の良さもたくさんあるわけですが、それにしても私たちはちょっと知らなさすぎではないかと、ここ数日で受け取った情報を整理しながら、危機感を感じてもいます。

ボランティアとか福祉とか、そういうのは余裕がある人がすることだという言葉を、あちらこちらで読んだり聞いたりしたことがありますが、本当にそうなのでしょうか?
そもそも、その余裕って何をさしているのでしょうか?

「どんな事情でも家族背景でもあたたかく支え合い育ち合える国」少しでも近づくようにと、強く願います。



※先日からの続き、トークライブ(4)の記事、まだ書き上げられずにいます。
当日見聞きしてメモしたことや数字の情報元を追ってみたりと、気づきや疑問が果てしなくわいてくるので、アップまでにもうすこし時間をかけたいと思います。

by rapisblue2 | 2014-01-20 01:19

安藤哲也さんと大葉ナナコさんのトークライブ(3)

※以前の記事は以下をご覧ください。
安藤哲也さんと大葉ナナコさんのトークライブ(1)
安藤哲也さんと大葉ナナコさんのトークライブ(2)

大葉さんのお話はとにかく引き込まれてしまう面白さがありました。ハキハキとわかりやすいしゃべり方、姿勢がすっとしていて表情も豊かですし、一体どんな頭脳をしているんだろう!!と思うくらい、様々な統計の数字がどんどん飛び出てきます。本当はすべての内容を書きたいところですが、何からどう書いてよいのやら・・・。ひとまず印象的だったデータをピックアップしてみましょう!



5歳までに80%の子どもが「自分はどうやって生まれてきたの?」「赤ちゃんはどうやって生まれるの?」と聞く


・・・こんなデータがあるんですね。以下は公益社団法人誕生学協会の総合案内の抜粋です。

いまの親世代は「生命と性の教育=性交教育」と誤解し、何をどう教えたらよいのかとまどう人が多いものです。また「寝た子を起こすことはない」とあえて話さなないケースもあります。さらに「伝えなくても困ることはない」というのは、情報が反乱する現状の子ども社会にはやや心配なことです。
そんな親達に、子どもたちはやはり聞いてきます。「赤ちゃんはどうやって生まれるの?」この子どもの素朴な疑問に対して、親たちはどんな回答をしているのでしょうか?あなたは、どんな答えをしてあげましたか?するつもりですか?


そして、実際の大人たちの回答例が載っています。現状は「誕生」することに対して「痛かった」「つらかった」とのマイナスイメージを伝える親が多いそうです。

それを受けた子どもたちは誕生を「辛いもの」「苦しいもの」と認識し、それがその子の生命観となることがあります。誕生学協会は「誕生」のイメージを、明るく優ししくしたいと考えます。

誕生学プログラムは、自分が誕生した時に自分が発揮した生命力を解説。
パネルやビデオで、骨盤の形や出口の骨の形に合わせて、赤ちゃんが自ら回旋することや、頭の骨を重ね合わせて生まれてくることなども解説します。
ただ部位名称、妊娠・出産のしくみを教えるのではなく、「生まれる時にスゴい才能を発揮したよ」「自分の力で回転しながら生まれたのよ」「帝王切開はおなかに窓をつけてもらえてよかったね」などの言葉をかけ、子供たちの自尊感情を育てることを促しています。
しいては自己肯定感を育て「命」を大切にするセンスを育てることができ、オプションでは本物の赤ちゃんや妊婦さんを同伴し、ふれあう機会をつくるそうです。

これによって、子どもたちの生命観は「ぼくは生まれてきてすごい」「私も大人になったら子どもを産みたい」「私が命を誕生させることができるんだ」と変化した、という実績が、日々積み上げられているというのです。性教育とはまったく別のもの。


誕生学プログラム受講後の子どもたちの変化

実際にこのプログラムを取材したテレビ番組の録画が流れました。
幼児から小学生、中学生、高校生、大人まで、それぞれ異なるアプローチでのプログラムを持っているそうですが、大葉さんご自身が一番のチャンスでありすすめたいと考えているのは、「小学校4年生」だそうです。
なぜなら、第二次性徴期に入ってしまうと、「命がつながる性」より先に「コマーシャルセックス、歪んだ性」が入ってしまい、妊娠・出産の話などするとすぐに「エロい」という反応をするようになり、そこからリフレーミングするのは大変だから。なるほど納得です。

録画映像の4年生の子どもたちは、ちょっぴり照れくさそうではあるけれど、皆真剣です。楽しそうに話を聞いているのが印象的でした。終了後、「赤ちゃんて頭がいいなと思いました」という女の子。「じぶんも一生懸命生まれてきたんだなと思った」という男の子。「お母さんに、産んでくれてありがとうって言おうと思いました」という女の子。それぞれの体験は、確かに彼らの中に変化を生み出しています。

また、とある高校の夏休み前、蒸し暑い体育館での講演もまた目を見張るものがありました。
大葉さんは講演前先生たちに、生徒一人ひとりにお米を一粒ずつ配るようにお願いしていたのですが・・・
「そのお米。何の大きさかわかりますか?」
「それはお母さんのお腹の中で、ご両親が、あなたたちの命に気づいた時の大きさです」
と言うのです。(メモと記憶からなので一字一句正確ではありません)

制服を着くずし、髪の毛を染めて眉毛を剃って。大葉さん曰く、「夏だ!」「やりたい!」ばっかり思っている男子だらけですよ、と。
そんな高校生たちは、うちわでパタパタと自分の身をあおぎながら、黙ってお米を見つめていました。そして骨盤の模型、へその緒のついた赤ちゃんの人形を使った出産シーンの再現も、生徒たちは真剣そのものでした。
特に高校生の場合、大葉さんは「命のすごさも何も知らないで、ただ体重ねてるような人はいないよね?!」なんてことも言うそうです。これは確かに図星の人はいるかもしれないし、響くんだろうなあ・・・(笑)。

終了後、命の大切さがわかったからこそ簡単に妊娠したくはないなと思ったという女子生徒。「ひとりの女子を長く大切にしてあげないといけないと思いました」という男子生徒。
こういうアプローチっていいなと、私は素直にうらやましかったです。

なお補足説明として、性犯罪で最も狙われるのは6歳〜7歳女児と言われており、とにかく「知らない人についていって言うことを聞いてはいけないよ」というメッセージを伝える必要性についても言及されていました。そういえば私も低学年の頃に、通っていたピアノからの帰り道、夕方の満員電車の中で今思うと非常に憤りを感じる体験をしたことを思い出します。そういう専門の方だったんでしょうね・・・。


これまでの性教育に違和感を持つということ

高校時代、性教育の授業がありましたが、望まない妊娠の中絶についてや、そういうことが起きないために避妊の方法をとことん教わるという内容でした。
先生はサバサバした女性でした。当時の私にはよくわからなかったのですが(笑)、いわゆるコマーシャルセックスの中の専門用語もどんどん言うので、特に男子が大興奮して喜んでしまい、他の授業とはまったくちがった雰囲気だったのを覚えています。でも、私は本当に何も知らなくて理解できない言葉も多かったので戸惑っていたんですが(苦笑)。

その授業で見せられた中絶手術の映像は、今でも目に焼き付いています。大きくなりすぎたために、母体の中で胎児を切断してから、胎盤なども一緒に外にかき出したり吸引したりという方法だったのです。胎児が、子宮に入ってきた器具から逃げ惑う様子は胸が痛むどころではありませんでした。


「もし間違って妊娠してしまったら大変!女子も胎児もかわいそう!だから絶対に避妊しなさい!!」

「女子は自分で身を守りなさい!」


こういうアプローチと、大葉さんの誕生学にもとづくアプローチ。全然違います。
これまでの性教育は、まちがった妊娠をしないための方法はたくさん教えてくれたけれど・・・。大人になって結婚したあと妊娠する方法、つまり「赤ちゃんがほしいとは思うけれど、タイミングや食生活や体づくりなど、一体どうしたらよいのかわからない」または、「妊娠とか出産てすごく大変そうだから、できれば遠慮したい」という人が増えているのではないでしょうか。
正直なところ、実は私自身も妊娠・出産がなんたるかをよくわかっていませんでした。これまで子どもに関わることをいろいろしてきたわけなのですが、人様のお子さんの面倒を見ているだけで満足していて、自分が出産して子育てをするというイメージが全然わかないのです。

妊娠するのはこわいこと、いけないこと、というような固定概念が、結婚してからもしばらく続いていました。あの中絶の映像が鮮烈すぎたのでしょうか。でも、それだけではないのだろうなと思います。自分でもこれはちょっと異常だと思うのです。なぜなら、同じ学校で同じ授業を受けた友人たちには、普通に妊娠・出産している人もたくさんいるのですから。


そんな私も本や映画で自然なお産のあり方について学んでいく中で、そうした凝り固まった価値観が少しずつとけていきました。こわい、痛い、苦しいではなくて、「ああ、気持ちいい」「ありがとう」と言いながら、薄暗い和室に一枚敷かれた布団の上で出産している女性と、それにこたえるかのように静かに回旋してゆっくりつるんときれいな姿で出てきた赤ちゃんの姿を、ドキュメンタリー映画『玄牝』で見たときの感動。(画像は玄牝HPより)
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これまで私の中で出産といえば、煌々と照らされた明るい部屋の分娩台で、悲鳴と血まみれの赤ちゃん、というイメージだったのですから・・・(このイメージも、子ども時代に何かで見たんだろうなあ。)
こんなに美しい誕生があったのかと涙がとまりませんでした。
なお、この出産シーンの撮影を快諾した母親は妊娠前から出産のために、ストイックに体づくりをしていた方でした。破水も出血も投薬も無し。人間って本来こうやって生まれてくるんだーと。馬や牛の出産シーンをテレビで観たことのある方は多いと思いますが、それとそう大きく違わない、至極シンプルで動物的な姿でした。



東京都のとりくみ「自尊感情や自己肯定感を高めるための教育」でも成果が認められた誕生学

東京都教育委員会では、平成20年5月に策定した「東京都教育ビジョン(第2次)」の中で、「子供の自尊感情や自己肯定感を高めるための教育の充実」を推進計画に位置付け、平成20年度から5ヵ年計画で研究を進めてきたそうです。


[東京都における「自尊感情」の定義]
自分のできることできないことなどすべての要素を包括した意味での「自分」を他者とのかかわり合いを通してかけがえのない存在、価値ある存在としてとらえる気持ち




・・・この研究では、子どもが自尊感情を自己評価する測定シート、他者評価の測定シート、そして中国、韓国、日本の国際比較などが行われています。

誕生学の学校向けスタンダード誕生学プログラムの後の測定では、「子どもの自尊感情がアップした」という明確な結果が出たそうです。未だに、誕生学を性教育と混同し、「よけいなことをしないでほしい」と子どもたちを守ろうとする保護者や先生方がいらっしゃるのも事実。でも例えば所沢市ではすべての公立小学校で、この誕生学プログラムが誘致されている。それぞれの教育委員会によって、ずいぶん理解に差があるようです。

私はスクリーンで実際のプログラムの映像を観て、そして大葉さんのここまでのお話を伺ってみて、子どもたちはもちろんだけれど、保育、教育に関わる大人たちにこそ体験してほしいなと思いました。



・・・さて、今日の記事ではたどり着けませんでしたが、次回はいよいよ安藤さんと大葉さんがタッグですすめている「ハッピーゆりかごプロジェクト」
児童福祉、特別養子縁組などについての話題です。
本日(1月15日)19時30分からのNHKクローズアップ現代で、養子縁組や里親についての特集が放送されます。
「家庭が必要な子ども」と「子どもが欲しい大人」をどう結びつけていけばいいのかを考える内容になっているそうです。
お時間許す方は、ぜひご覧ください。


(4)へつづく♪
by rapisblue2 | 2014-01-15 17:22

安藤哲也さんと大葉ナナコさんのトークライブ(2)

※このイベントの趣旨についてはこちらをご覧ください。
安藤哲也さんと大葉ナナコさんのトークライブ(1)


イベントの雰囲気

こちらのトークライブ、あくまでも安藤さんがDJで大葉さんがゲスト、私たち参加者はその番組の観覧者でいてね、という雰囲気づくりになっています。受付を済ませたら、会場後方に用意されているドリンクやお菓子などを自由に召し上がってくださいねとアナウンスがありました。確かに19時から21時半という時間帯、おなかがすきます。仕事後直行の方にはうれしい心遣いですよね。私は最近お気に入りのドリンクをタンブラーで持参していたのでいただかなかったのですが、私が備え付けのドリンクカップを持っていないことにお気づきになったようで、安藤さんと大葉さんがご丁寧に「どうぞ、飲み物ありますからね」とお声がけしてくださり、うれしかったです。

参加者は半分くらいはお知り合い同士?という雰囲気。始まる前安藤さんから「初めてですよね?」と確認が入りました。安藤さんファン、タイガーマスク基金の支援者など、毎回のように参加されている方もいるのかもしれません。
大葉さんのところで誕生学を学んですでに個人で活動されている女性や、
スーツ姿の男性、PC持ち込んでトーク内容をその場で打ち続ける方も。

スクリーンにはタイトルと写真が映し出されていて、時間になると音楽が流れ出し、「皆さんこんばんはー!」とスタート。すぐにに本題に入るのかと思いきや、まずは安藤さんがピックアップした最近のニュースのコーナーで、週明けの成人の日にちなんで「新成人の人口について」。スクリーンに人口推移の表やグラフがどんっと出てきました。あれ?と気が抜ける感じ。でもこれがちゃんと後の話題の伏線になっていたと後でわかりました。さすがです。


日本の人口推移を考察する

今年の新成人は男性65万人、女性62万人の計127万人。3年連続で過去最低を更新中で、人口減少が確かに進んでいます。(表は総務省統計局HPより)
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こちらは人口ピラミッドと呼ばれるものです。1枚目は2015年、2枚目は2060年の予測。国立社会保障・人口問題研究所HPより)
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こう見せつけられると、けっこう暗い気分になります。かつては若者20人以上で高齢者1人を支える「胴上げ型」と呼ぶほどの充実ぶりだったものが今は「騎馬戦型」(3人で1人)になってきていて、そのうち「肩車型」になるだろうと言われているそうです。
本来なら団塊の世代の孫にあたる代で第三次ベビーブームが来るはずが、まったく来なかったというのもこのグラフで明らかになっており、国の政策が問われる問題となっています。


お見合い結婚のススメ

大葉さんのご意見が興味深かったので、一部ご紹介します。
1960年代はなんとお見合い結婚が50%だったというお話です。
だからこそ、今の人も恥ずかしがらないで積極的に婚活したらいい、信頼のおけるきちんとした相談所、紹介所への登録がおすすめ!とのこと。
出会いは、学生時代か職場か、の2種類しかないのが普通なのだから、そこで見つからなかったら積極的に動きましょう、と。「自分だけモテない・・・恥ずかしい」なんてことはなくて、本当はみーんな出会いがないの!出会いたくても出会えてない人が多い!と力強くおっしゃっていました。

実は私の知人(女性)でも、職場では出会いがないと見切りをつけ、25歳の若さでさっさと相談所に登録、多くの男性から申し込みがあり、そのうちの一人と半年でゴールインして1年後には赤ちゃんを授かった方がいます。そのスピード感たるや目を見張るものがありました。お互いに「結婚前提」で会うからこそですね。このご夫婦は本当にいつ会っても仲が良くてニコニコと幸せそうで、本当に良かったね、とこちらまでうれしくなります。出会い方は関係ないんだなあと思わされ、おかげで私自身のお見合い結婚への印象もガラリと変わりました。ただ、婚活がブーム化しているのもあり、どんなところに登録するかは当然ですがよく吟味したほうが良さそうです。
大場さん曰く、だいたい会って7人目と結婚するという統計もあるとのことでした!

私自身は学生時代からの恋愛結婚(26歳)ですが、実は23歳くらいの時に、お世話好きな方から、とある年上の男性とのお見合いの話を持ちかけられたことがあります。びっくりしました。確かに当時は仕事が恋人みたいになっていたので、出会いもないだろうと心配してくださってのことだったのでしょうが、一応留学中の彼とつながってはいたので、お会いするまでもなくあっさりお断りしました。彼氏の存在を伝えたところ、「あら、そうなの!いるのね!」と、それはそれで喜んでいただけましたが(笑)。
お世話にはなりませんでしたが、ありがたいことだったなあと思います。あの写真の方、お顔は覚えていないけれど、素敵なご縁できっとご結婚されたことでしょう。


妊娠出産への意識の違い

1960年代はまだ自宅出産が半数だったというお話がありました。出産が医療扱いになった歴史はまだとても浅く、今の52歳の方の半数は自宅で誕生した人なんだそうです。意外でした!東京近郊は病院出産が多かったとしても、田舎はまだまだ自宅出産が当たり前だったのですね。

出産先進国と言われる英国では、「能ある助産師は手をクッションの下に隠す」という言葉があり、彼らが最も優秀とされていて、助産師はあくまでも母親が産む力と赤ちゃんが出てくる力を見守る存在であることが広く知られているというお話もありました。バースエデュケーターという出産準備をサポートする資格保持者も認知されており、欧米全体では3万人近くいらっしゃるとのことで、日本との違いにびっくり。

日本でもこうしたスタンスの医師や助産師さんはいらっしゃいます。私はこれまでに吉村正氏や、大野明子氏の著作を読んだり、私の周囲で慕われているバースハーモニーの助産師・斉藤純子氏のお話を伺ったりしてきて、そこで見聞きしたことがベーシックにはなっています。吉村先生については吉村医院のドキュメンタリー映画も観たのですが、確かにお産の間、じっと座っているだけでした。そのかわり、妊婦さんの食事内容、体づくりがとても厳しいことで有名です。パクパク食べてゴロゴロしていると難産になる、と一蹴。大野氏も、妊婦の安静第一は嘘、自分で産む力を鍛えよとキッパリ。(もちろん場合によります。また、やる気のない妊婦は最初から受け入れないのです。)けれど、一般的にはどうしても高度経済成長で広がった「できるだけ大きな病院が安心」という意識が根強いという実感はあります。

「日本はカスタマー精神が強いよね」とおっしゃったのは安藤さん。そこに大場さんが「そうそう、院長が出てくると自分のブランド感が高まるみたいなね!」とかぶせて、一同爆笑。それなりの地位の医師がきちんと対処してくれると安心する、嬉しい、みたいなところは確かにあるような気がします。これは病院でも助産院でも同じではないでしょうか。私は正直なところ、後の母体と赤ちゃんのケア含めてできるだけ医療介入のないお産を支持したいですし、ほのかに憧れも抱いていますが、年齢、体質、体力、精神力、自宅との距離、そして家族の想いなど考えるべきことは多岐に渡るので、冷静に検討することが必要だと思っています。


ところで・・・安藤さんは、上の人口ピラミッド2枚目を「ムンクの叫び型」と呼んでいるそうです。「だってこうやって(両手を頬にあてて)叫んでるみたい、ね、そっくりでしょ?」と。
「それに、この話は深めるとみんな貯金しなくちゃとか考えだして胃が痛くなっちゃいますから、このへんにしておきましょう」ということでこのコーナーが終了。場がちょっと和んだ瞬間でした。

※追記※
大切なことを忘れていました!
安藤さんがおっしゃっていたこと。
見てわかるように、少子化じゃなくもう少子になっている。

国は少子化対策やっているけれど、もう少子化対策じゃなく、少子時代をどうやってhappyに生きるかをみんなで考えていくことのほうが必要!


(3)につづく♪
by rapisblue2 | 2014-01-14 13:40

安藤哲也さんと大葉ナナコさんのトークライブ(1)

昨夜、すばらしいイベントに参加してきました。一晩たっても興奮冷めやらぬ感じです。保育士として、いえ人として、まあなんと知らないことが多いことか!!
内容は非常に濃くてボリューミーだったので、少しずつ整理しながらご紹介していきたいと思います。今回はこのイベントのコンセプトと、私が関心を持った経緯についてです。

昨日Twitterを見ていた時に安藤哲也さんの投稿に強烈に惹かれた私、「ドタ参加もOK!」という言葉を素直に受け止めました。参加者がどんな人たちなのか全然わからないし、私はアウェイかもしれないとも思いましたが、「自分にとって絶対に必要」という自信だけは持って、会場である社会企業大学に向かいました。


安藤哲也さんの【トークライヴ★revolutions】とは?

以下、Facebookのイベントページからの抜粋です。


Ando-papa Presents Like Radio Show
トークライブ★revolutions vol.8

『安藤哲也がDJを務める発信型トークライブイベント。ソーシャル系の話題などを発信。いま社会を変えようと動きロックするゲストをお呼びしてトークセッション。グラス片手に70’sRock、R&B、Jazzなど音楽をかけながらラジオ番組風なムードで開催。絵本も読みます。売上の一部をタイガーマスク基金に寄付するチャリティイベントです。You Stream中継はありません。その夜その場に来てくれた人(リスナー)だけが楽しめる・情報を共有できる限定イベントです。
「取り組んでいるテーマをもっと深く知りたい」「ゲストと繋がりたい」「前のめりで生きてる人の話が聴きたい」 「NPOを立ち上げたい」「ソーシャルビジネスが軌道に乗るそのコツを識りたい」「グッドミュージックを浴びたい」「安藤の絵本が聴きたい」。
そんな方々に来ていただきたいです!』




今回のゲストは、22歳で母親となり、2男3女の子育て経験者でもある大場ナナコさん。以下HPのプロフィールより抜粋です。


『2003年有限会社バースセンス研究所を設立。産前産後の生涯学習、パートナーシップ支援、女性の心身に優しく豊かな出産を実現するための調査・研究・講座運営・出版・後任の育成を開始。世代別の優しい出産の学習プログラムを生み出し「誕生学」®と名づける。
2005年、有限責任中間法人 日本誕生学協会を設立。次世代の娠娠出産育児を豊かにするべく、助産師、産科医、学識者や保護者たちと協働し、次世代支援者「誕生学アドバイザー」育成を開始。親子のエンパワーメント活動を開始する。』



さらに、Facebookで安藤さんが投稿されていたのがこちら。


『新年1発目のトークライヴ★revolutions は、ゲストに素敵なママ友・の大葉ナナコさんをお迎えして華やかに開催します!「バースコーディネーター」創業の経緯や思い、多くの世代へ妊娠出産の基礎知識やいのちの大切さを学ぶ「誕生学」の普及活動について、共に取り組む「特別養子縁組」への思い、そして5人の子のママとしての日常、夫婦パートナーシップの作り方などについてもあれこれ訊いてみたいと思います。リスナーの皆さん、どうぞお楽しみに!』


・・・堅苦しい講演会ではなく、平日夜にドリンクやおやつをつまみながらのトークライヴという、ゆるい設定がとてもいい!会場は思っていたよりもこじんまりとした一般的なセミナールームでした。理想はBARみたいなところで、という想いもお持ちのようです。
安藤さんは放送部出身で当時から音楽やDJ業に憧れがあり、50代に入って何か新しいことをしてみたいと、このイベントを始められたとのこと。100回やると決めていらっしゃるそうで、今回は8回目でした。


特別養子縁組について知りたかった

おふたりのこれまでの活動に関心があるのはもちろんのこと、私の中で今回足を運ぶカギになったのは「特別養子縁組」でした。
私は昨年の米国滞在中に生まれて初めて、養子縁組で子どもを迎え入れたご家族と出会ったのです。お父様もお母様もお子さんも、そしてお子さんが来る前から一緒に暮らしてきた犬も。本当に幸せそうなご家族でした。米国では養子縁組がポピュラーで、恥ずかしいとか隠すといった意識がほとんどないように感じます。

「子どもが欲しいのにできない人と、望まない出産をして殺めたり施設に入れたりする人、日本にも両方がいるのは確かなことのはず。私たちは日本の実情をもっと知るべきではないか?」

「なぜ情報が上がってこないんだろう?」

「世の中に、当たり前にそういう家族がいたっていいのに」

「里親と養子縁組の違いは?」


・・・と、色々と考えていたタイミングでこちらのイベントを知ることとなり、「行かない」という選択肢はありえませんでした。

フタを開けてみれば、共感共感共感で首を縦に振りまくり、驚き驚き驚きでのけぞりまくり、胸が震えて胸が詰まって苦しいくらいに命のことを考えた2時間半。
定員の20人が埋まっていなかったのがとにかく勿体ない、悔しい!!と思うほどの充実すぎる内容でした。ちょっと大げさかもしれませんが、この体験を自分のものだけにしておくのは罪のような気さえしてくる、と言うことに抵抗はありません。マスコミがあまり取り上げないからこそ、児童養護先進国の米国や英国からはずいぶん前から非難されているという日本の「あたりまえ」を、まずは一人ひとりが知ることが大切だと思います。多くの日本人が文化的背景やマスコミの情報操作によって偏見や思い込みを持っているということ、世界から見た日本がいかに児童養護後進国であるかを、まずは認めることから始めませんか?


ありあまるほどのエネルギーがわき起こって

自分やこれから出逢う子どもたちの人生にこの2時間半のことをかならず活かしていきたいと思ったし、安藤さんや大場さんのようなキャラクターにはなれないけれども、幸せな家族が日本に増えていくために、自分自身も身近なところから発信、できる行動をしていこうと強く思った帰り道でした。

私にできることは、このブログで発信すること、身近な人たちに話すこと、
批判ではなく、どうしていけばよりよくなるかを考えること、
家族や友人はもちろんのこと、ご縁のある子ども(親子)に愛をもって接し、日々を誠実に暮らすこと。


とびとびになるかもしれませんし、何回シリーズになるかわかりませんが、次回記事からこのイベントの内容をご紹介します。もし少しでも気になった方は、ぜひチェックしにきてください。よろしくお願いします。
by rapisblue2 | 2014-01-11 10:07

「食べ物で遊んではいけない」の捉えかた/保育と私

これは2歳の男の子が「食べ物でめいっぱい遊んだ軌跡」です。こういうのを大人はすぐに「作品」にしたがるけれども・・・はたして?
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私は1時間彼が集中して遊ぶのを見守り、満足そうな表情や雰囲気を確認して「じゃあ、お片づけだね」と声をかけました。素直に、つかった道具のお片づけ。彼がこの紙にまったく執着しなかったのを見て、「作品」に仕立てる気持ちには全くなりませんでした。



遊びの一部始終

この遊びの始まりは、たった一つの柚子の香りをかぐことでした。

「ほら、いいにおいだね」と渡してみたら、とても興味を持ち、周囲の大人にも柚子を見せていました。そして爪をたてて皮を剥こうとしています。
果汁が絨毯や畳に落ちたら面倒なので、私はキッチンからボウルを持って来て彼をテーブルに呼びよせ、着席を促しました。彼の気持ちは柚子に奪われたまま。素直に着席し、ボウルの中の柚子に爪をたて、どうにか中身にたどりつきたい様子。少しして、確かに皮の一部が破けました。

けれども、1時間過ごすことを考えるとこれ一つに執着させるよりも遊びが展開していったほうがいいと思ったので、他の柚子をいくつか横半分にカットし、彼のもとに持って行って果汁絞りの見本を見せたのです。すると彼はすぐに真似をして絞りだしました。なかなかいい手つきです。

さらに、種と果汁を分ける作業をしてもらいました。酸っぱいのが大丈夫な子らしく、絞った後のしなしなした柚子をなめたり、時折くんくんと香りを確かめたりしながら。

果汁をほぼ絞り終え分別作業もスムーズに進んでいるのを見たところで、私はケーキ終了で使わなくなったラズベリーパウダーを持って来ました。まず袋から香りをかぐよう促し赤い色を見せてから、分けて別の器に入れた果汁のところに振り入れました。不思議そうな表情で見つめています。

スプーンを手渡すと、自分でぐるぐるとかき混ぜ始めました。
かわいたパウダーが少しずつ柚子の果汁をとりこみ鮮やかさを増し、ふくらんで、そして融けて馴染んで一体化していく様子を彼は一通り体験しましたが、目立った変化が起きなくなってからも延々とかき混ぜ続けていました。
私がしゃべりかけると思い出したように、時々「くるくる、くるくる」と言いますが気がまぎれることはなく、自分でおこしている渦巻きの中にまるで魂が入り込んでいくようでした。


白い画用紙をりんごの形に切って(今体験している色が赤だったのと、彼を見ていたら四角い紙よりも丸みを帯びたもののほうがふさわしいと感じたため)目の前に差し出し、私が一度だけ、小さな木のスプーンで赤い液体をすくって落としてみせると、彼は真似をして同じことをし、そして手で広げる。遊びが次の段階に進みました。


しばらく見守った後、ほうれん草のパウダーを持ってくることにしました。
私はまずほうれん草単体で水に融いて緑色の体験をしてから、という意図があったのですが、彼はすぐに先ほどの赤い液体に混ぜ始めました。
ほんの少しだけ鮮やかな緑が現れ、そして一気に液体は茶色く濁ります。一見「きたない色」なのですが、彼はその変化にまた心を奪われ、先ほどよりも熱心にかき混ぜる作業を続けました。延々と。
すると面白いことに、全体が馴染んでツヤが出て、まるでビロードの布のような美しさを醸し出してきたので私は内心感動していました。
最初の柚子のさわやかな香りはすでに遠い過去のようでしたが、懐かしいような美味しそうな、でも甘さが一切ないためか強烈に惹かれるほどの誘惑はなく、不思議な心地よい香りがしていました。


次に片栗粉を持ってきました。
お母さんに確認すると冬休みに雪を見て来たとのこと。「雪みたいだね」なんて話しかけながら、粉との出会いを促しました。スプーンもあったのですが、彼は手づかみで真っ白な粉の感触を確かめています。
私が液体の中に少量の片栗粉を入れて少しだけ混ぜてみせようとすると、彼は自分がやると言わんばかりにスプーンを奪い取りました。けれども今度は勝手が違います。荒々しく混ぜようとすると粉が飛び散り、うまくいきません。一気に入れてしまうとそこだけ固まってしまいます。私はあえて何の説明も注意もせず、こぼれたものをできるだけ早くタオルで拭き取り、常にテーブルの上が美しい状態であるようにしました。彼の足元の絨毯には広告紙を敷きました。
そもそも私が用意した器が幼い彼には小さかったので、彼にこぼさないように求めるのは違いますし、そんなことよりも大事なことが今この瞬間起きているのです。


彼は私が持って来た分の粉をすべて入れたいようです。ちょっと多いかなと思いましたがそのまま見守ることにしました。私は折を見て水分を足してあげるくらいです。


片栗粉が混ざっていくと、ねちょねちょと粘り気をおびてきます。色はグレーがかってきました。それでも混ぜ続けていくと、扱いやすい粘土のようになりました。スプーンですくったそれを指先でさわっても、何もくっつきません。やわらかくてぷにぷにっとしています。
「おもしろいねえ」「気持ちいいねえ」と、その感触をふたりで確かめ合い、楽しみました。

彼はそれを手で掴むと、先ほどのりんごの紙に、ごしごしとこすりつけ始めました。あるだけすべてやりたいようでした。時間がたつにつれて、それも乾燥していき、だんだん固くなってきました。器の中身をスプーンですくおうとしても、スプーンの先が簡単には入っていきません。指で一生懸命かきだそうとしていました。

だいたいここまでで50分くらい。

初対面だったのもあり、そんなにおしゃべりはしませんでしたが、満足げなのは伝わってきました。つかった器を重ねたところで、彼の中でも「はい、おしまい!」だったのがハッキリとわかったのです。その瞬間、遊び込んでやりきった爽快感が表情に表れていました。
これは集団の保育現場では、(私の経験上ではありますが)なかなか見受けられない子どもの姿です。現場ではどうしても時間で区切ってしまうから。私も彼の意欲、探究心、集中力そして、小さいカラダに備わる五感の素晴らしさ、世界を信じている姿に寄り添うことができ、心動かされました。やっぱり子どもの力は素晴らしいです。どんなに小さくても、成長したくてたまらない塊のようなもの。



「食べ物で遊んではいけない」の捉えかた

私はこの後「食べ物で遊んではいけない」という言葉やその捉え方について考えました。
賛否両論あると思いますが、躾の意味で考えると、「食べ物に対して軽んじた行為をすることはいけません」だと現時点では思っています。もっとシンプルに言えば、「食べ物と、どんな思いで向き合うか」ということですね。遊んだって何したって最後に食べればいいんでしょ、っていうのは違うと思います。それは、そもそも「遊ぶ」の言葉の捉えかたが歪んでいるような気がします。
これは、私自身の中でも1年後にはまたちょっとニュアンスが変わるかもしれません。あくまでも今の考えです。

私はこれまであまり突き詰めて考えたことがなく、答えも持っていません。現場でそういった場面に遭遇した時は、その時その時で対処していました。
でも20代前半に福祉施設に勤めていた時は、日々の食事介助にとても苦手意識があったことをここで告白します・・・。介助者によって、食事中遊んでしまう、ひっくり返して暴動になる、そんな利用者が何人かいましたが、まだそんなにポリシーのようなものも明確に持っていなかった当時の私は、彼らの恰好の標的だったんだろうなあと今思います。
「あなたは優しいからね」と先輩方によく言われたものです。特に1年目はいつもエプロンがちぎれ、腕は噛まれたり引っ掻かれたりの傷だらけでした(苦笑)。
今だったらどうするかなあ、と考えていますが、それはこれからの私の課題でもあります。
一つだけ言えるのは、後輩にたいして「あなたは優しいからね(優しいからダメなんだよ、子どもになめられるんだよ)」という言葉は決してかけない、ということくらいでしょうか。その意図やメッセージはとてもよくわかるのですが、食、そして人間同士のコミュニケーションを考えたとき、もう一段階掘り下げて考える保育者、教育者、介助者、支援者がこの国に増えることを心から願っています。



保育と私

さて、とてもリアルな話をすれば、例えばラズベリーパウダーなんてものはとても高価なものですし、以前だったら勿体ないという気持ちもあったと思います。でもケーキ製作をやめた今、使う機会はありません。ただ酸化していくだけならば、というのが一つ。
あとは単純に、ラズベリーの色ってとてもきれいだから。
ただ私自身が彼と会ってみて、香りや色を感覚的に素直に受け止めそうな子だったので、一緒にやってみたいと思ったから。理由はシンプルです。

はじめから上記のような展開を想像していたわけではなく、その瞬間その瞬間でこちらがクルクルふわりと接する関わり方。決して押し付けにせず、問いただすことも無理な意味付けもせず。さらに言えば私はこの時「赤いね」「気持ちいいね」「かたいね」とは言っても、「すごいね」「上手だね」とは特に言わない。彼がしていることそのものは、今の彼の能力でできる当たり前のことをしているに過ぎないと感じたからです。私の予想を越えた時に「よくできたねえ」と、素直に感心したことは表現しましたが。

明確な師弟関係を築いてリードしたり、「タイムスケジュールやたくさんの子どもたちや保護者の状況を瞬時に判断して的確な指示を出し、自分も動いて保育をまわす」というスーパー保育士さんたちがいますが、私は今回のようなじっくり型が向いているなあ、というかこれしかできないな、と改めて思うのでありました(苦笑)。
私は「確かに保育士さんぽい!!」とか、「さすが、関わり方がうまいね」と最近言われるようになりとても光栄に思っていますが、保育一筋で来たわけではないので、その道の経験としてはまだまだ全然浅くて少ないのです。これは米国に行く前にもブログに書いた気がします。けれど、新年にいろいろ考えていた時にとてもハッキリと自覚したことがあって。それは、「結局自分がしてきたこと学んできたことは、すべて保育につなげているし、これからもそうしていきたい」という思いです。

保育士という肩書きを身につけてから(まだ)10年、「保育士である自分」を誇りに思えるようになりました。私が様々な葛藤や学びを繰り返して培ってきたものを活かして、周りで出産・子育てをしている人たちのお役にたてるのであれば、それは大きな大きな喜びです。
でも、私が今いちばん大切に思い、子どもに関わる人たちに最も伝えたいと思っていることは、「どうやって子どもと関わるべきか」といった手法ではありません。「うちの子、どうしたらいいのでしょう?どうやったらいいですか?」と聞かれたときに、期待されるような返す言葉を私はほとんど持ちません。
たいていの場合大人の凝り固まった価値観や決めつけから生まれるその人個人の問題であって、子ども自身はそれを問題としていないからです。私たち大人の捉え方次第。子どもをどうすべきか、ではなくて、泣いても笑ってもわめいてもその子はその子であり、そのことを自分がどうとらえどのように考えたら良いのか。「参考にする」のはとても素晴らしいことだと思いますが、誰と比べるのでもなく、誰かを追いかけて真似するのでもなく、結局は自分を見つめ、時に自分と闘うしかない。なぜイライラするのかを深く掘り下げて自己コントロール力を磨く、これに尽きると思います。・・・というのは、年中イライラめそめそ、我慢ばかりしていた過去とおさらばした私の、思い込みなんですけどね(笑)。

もちろん手法も知らないより知っていた方がラクだったり楽しかったりすることは多いですが、一時的に効く薬のようなものに過ぎないと思います。何よりもまず自分の思い込みや捉えかたを変えることが、結局はいちばんラクで副作用もなく、安全だなあと実感しています。
by rapisblue2 | 2014-01-09 13:23

「ほっこりさん」て何?両極端を見つめる癖をつけよう

お正月、以前からかなり気になっていたマーマーマガジンを書店で見つけました。2013年WINTER、発行は12月12日との記載があります。新百合ケ丘の有隣堂、元旦。棚にはまだ5冊ほどあったので、まだ手に入るかもしれません。
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翌日に会う人がこのテイストと合うかもしれないと思い、実は「私はさらっと読めればいい、明日あの人にお年賀のプレゼントにでも」というつもりで購入したのに、目次を見ただけで自分のセンサーが強く反応!「これはすごい」。さらっと読むなんてあまりにももったいないと、プレゼントするのは延期にさせていただきました(笑)

マーマーマガジンのモットーは以下の5つ。

●環境に配慮した、人道的なファッション
●全体性のある美しさと有機的な生活
●からだ、こころ、魂への気づき
●自然への感受性
●自分を大切にすることが、近くの誰か、そして地球を大切にすることにつながっている



この号の特集は『土とともに生きる〈後編〉 今いちばん気になる農の話』。自然栽培のこと。自然農法の提唱者である故・福岡正信さんについて周囲の方々のお話。インタビューもエッセイも、それぞれの人間性がひしひしと伝わってくるような、ずっしりとした文章揃いでした。
他には断食体験、冷えとり、市販のシャンプー等を使わない普通とは違うヘアケアについてなど、ふつうの雑誌ならどれか一つでしょうと思われるコンテンツが一冊に、一度に、こんなに、しかもハッキリとしたスタンスで書いている!!と、びっくりしたと同時に、これらの話題が好きなはずの私でさえ若干引き気味になっております(笑)。それくらい充実しているということです。

冷えとりについては私もこんな本を読んだ後にさっそく靴下セットを購入してみた一人です。が、面倒くさがりなのでこれを日常の中に組み込むことができず、時々思い立った時に使用する程度になっています。確かに薄く柔らかなシルクが肌にあたっているのはとても心地が良いし、あたたかいのは本当です。が、15枚とか20枚履く(そして、脱ぐ、洗う)という境地にはとてもとても。個人的には2枚から4枚くらいで充分です。私はもともと足が大きいので、そんなに重ねてたら外に履いて行ける「靴」が、いよいよメンズしか選べなくなってしまいますからね(笑)。


両極端を見つめる癖をつける

ちょっと話はずれますが、両極を知っているということはとても大切だと思っています。というとなんだか当たり前すぎて響かない一文ですが、たとえばマーマーマガジンのような、ある意味すごく偏っている雑誌を喜んで面白がり味わいながらも、これを批判する人たちの意見も少しばかり見ておくというバランス感覚です。

今回もこの記事を書く前にちょっと調べただけで相当数出て来ました、冷え取り反対、あるいは疑問を呈しているお医者様や整体師の方のご意見。
また、身分を明かさずに人のことをあーだこーだ言っている掲示板。こんなことしている暇がある人たちって・・・と思わなくもないですが、でもこの中にひとつだけ、うなづけるものがありました。彼らは彼らから見て不思議な人たちのことを「ほっこりさん」と呼んでいるのです。そして、


なぜほっこりさんたちはそんなに冷えてるの?
肉を食べて運動していれば冷えなんて無縁のはずだけど、ほっこりさんたちには御法度なんだろう
靴下何枚も履いてるの気持ち悪い
水虫になりそう
冬になるとほっこりさんたちは鍋でコトコト野菜を煮てストーブの前で読書とかして体動かさないんだろうな
こんなにステキなものに囲まれてこんなにほっこりな暮らしをしているの見て〜!



などなど(私の記憶の中の言葉たちなのでそのままではありませんが)言いたい放題です(笑)。その内容は正直どうでもいいのですが、何より私が注目したのは「ほっこりさん」という呼び名です。「ほっこりするね」「ほっこりしましょ」「ほっこり時間」・・・実はこれは私自身、数年前に非常に違和感を感じた言葉でした。少なくとも私は小学校では習わなかったし両親始め育った環境では聞いたことがなく、大人になってからナチュラル系の雑誌で初めて知り、それが次第に浸透して受け入れられ非常によく使われている、そしていつしか自分も使うようになった言葉、という認識です。
「なんでもかんでもほっこりほっこりって、他にも色々な美しい日本語があるだろうに」と内心思ったりした時期もありました。(生意気。そういう自分もfuwariというアカウントで、ひらがな多用のふわふわしたブログ書いていた時期もありましたから、人のこと言えません笑)


ほっこりの意味

goo辞書で出て来たのはこちらです。

[副]1 いかにも暖かそうなさま。ほかほか。「―と暖かい綿入れ」「心が―する話」
2 ふくよかなさま。
「―とした風だったけが、今ぢゃあ痩(や)せおとろへなんして」
3 つやがあって鮮やかなさま。
「庭の紅葉さへ―とした色がないわい」

[名]ふかしたさつま芋。


・・・ところが京都では「大変」「つかれた」「うんざり」などの意味だそうです。ほっこりしたからお風呂に入ろうとか、そんな感じで使うようです。知りませんでした!

とはいえ、ほっこり女子のイメージなんかがここまで広まると、今さら「それは誤用です」とも言いづらい空気ですね。個人的には、言葉は生き物のようにその時代に沿って変化して使われていくものだという考え方に賛成です。でも本来の意味を知っておくこと、背景に関心を持つという姿勢は日本語を扱う者として忘れたくないなあと思います。

そういえば先日、Facebookでのやりとり中、いただいたコメントの中に「必ずや名を正さんか」という言葉を書いてくださった方がいました。言葉が正しくないと社会も文化も混乱する。迂遠なようでもまず名目や言葉を正すのがすべての基本、という意味の孔子の言葉です。新年に思いがけずプレゼントをいただいた気分で、私はこの言葉を、ブログをタイプするPCの前に置いておくことにしました。


この号を読んでみたいけど手に入らないよ〜という方、お貸ししますのでお声がけくださいね。
by rapisblue2 | 2014-01-06 23:55

日本にいても世界を感じていたいから始めたこと

新年事始め。念願叶って、素敵なご夫婦がご自宅で主宰する英会話クラスの仲間に入れていただけることになりました。やった!!
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米国と日本の国際結婚をされたご夫婦との出逢いは、以前参加した、横浜市青葉区のエコメディア森ノオトのアニバーサリーパーティでした。まったく英語が出てこない私は、楽しそうに会話している夫の隣でほぼ微笑んでいるだけでしたが、おふたりのまっすぐで大らかなお人柄が私の中にいつまでもあたたかく残っており、なぜだか忘れられないのです。さらには森ノオトの記事を読んで「いつかは訪ねたい」という思いはありました。
とはいえ、これまでの自分のライフスタイルでは英会話スキルの必要性をさほど感じず、漠然と「英語、話せたらいいなあとは思うけど、できなくても困らないかなあ」という感じで気づいたら32歳。ペラペラ喋れる同世代の友人たちとは歴然の差で、なんだか気が遠くなるような。「私にはもう無理なのかなあ」と思っていました、つい半年前までは。

でも米国行きが決まってから思い立って、久しぶりにご連絡。クラスのウェイティングリストに入れていただいたのです。私たちの帰国前に1月からのクラスに空席が出たとの連絡をいただき、やりとりすること数回。その中で何よりも、何度も米国と日本を行き来されている分、この一ヶ月の私の帰国ショックについて深く理解を示してくださったことが本当に嬉しかったです。3ヶ月分の複雑な想いを背負って、今日やっと面接に行ってきました。

8割は日本人の奥様に通訳していただきましたが、できるだけ英語をはさんで、3ヶ月の経験、感じてきたこと、そして今日本で感じていることなどをたくさんたくさん、本当にたくさん聴いていただきました。ご主人手作りの焼き菓子とあたたかいカフェオレをお供に喋り続けることなんと2時間半!話題は尽きませんでした。


伝えたい気持ち、それはすべての原動力になる。

今日の私は、確実にこれまでと違いました。
日本語でもいいよ、という状況に甘えたところもあるけれど、とにかく伝えたいエネルギーが溢れんばかりになっていました。あの気持ちは何なのかな。今ハッキリと答えは見つからないけれど、米国の驚くべき多様性の中に身を置いたことで自分の内側が確かに広がったのだと思います。「多様性を受け入れたいと思うようになったこと」を知ってもらうことで、もしかしたらこんな私でも、これまでには接点のなかった方々と出逢い誰かのお役にたてることがあるかもしれない、いつかそんな時が来たらいいな、という淡い期待があります。してみたいことは口にしたほうが実現しやすいからです。

音楽が好きなので、英語の音を聴いて真似をするみたいなことは好きだったのですが、単語や文法をおぼえる勉強に身が入らず、そもそも海外の方とは目を合わせることも苦手だった私。
でも、言葉にならない、できないのは、英語がわからないからということもありますが、その相手とどうしても話したいことがなかったから。これは日本語だって同じことなんですよね。私は社交辞令のようなものが下手なので、心から関心を持ち話したいことがなければ、日本人相手であっても沈黙してしまうか、焦ってどうでもいいことを言ったりしてしまうことがあります(苦笑)。これって完全に自分のコミュニケーション能力の問題だったんだなあと今さら気づきました。

どうしても聴いてほしいことや伝えたいことがあったら、日本語だろうと英語だろうと、自然と一生懸命になる。だから、そういう相手がいるって本当にありがたいことだと思います。今日言われて印象的だったのは、

「私たちは感覚的にやっていきますから」
「一緒に幸せになれそうな人を迎え入れます」

という言葉。きっちりかっちりしたものを求める人にはなんとも不安になってしまいそうな、あやふやな言葉ですが、ここ数年直感に磨きをかけてきた私にとっては夢のような・・・!そして、以前から夫に「耳がいい」と言われていた部分にも改めて太鼓判を押され、胸が熱くなりました。まだ私にも可能性があるんだ、信じてみようと思えました。


どんな仕事も趣味も習い事も最後は「人」だと、改めて。

私は彼らに会いに行き、話がしたい。それを原動力として、「英語でコミュニケーションする私」を自らにゆっくりと育んでいきたいと思います。昨日の記事でご紹介した本に「脳は死ぬまで進化する」と書いてありましたし、義祖父は確かに英語を学び続け、100歳になってからドイツ語にとりかかっていましたからね!!

理想を言うならば、上記とあわせて「自分の興味に関わらず場を楽しめる力」も伸ばしたい。つまりもうちょっと協調性のある社交的な人になれたらいいな、なんて思います。ほんと、あとちょっとでいいから頑張れ私・・・。でも、すでに感じてはいるんです。自分から話しかけてみるとか、人の目を気にせず正しいと思うことをするとか、自分のことを自分で謙遜するでも誇大にするでもなくありのまま話すとか、そういうことは帰国後レベルアップしている自覚があります、自分比で。(幸いまわりにもステキなお手本がたくさんいらっしゃる。恵まれています。)

そしていつか、今回の滞在でうまくコミュニケーションとれずお互い苦い思いをした方と話してみたい。いつかホームステイの受け入れもしてみたい。私の人生で、3ヶ月という短期間にここまで沢山のご親切に支えられたのは生まれて初めてでした。忘れることはできません。
使命と言ったら堅苦しいかもしれないけれど、この恩返しや恩送りをすることは、今年に限らず永遠のテーマとして存在しつづけるだろうと思います。

と、マジメに色々書きましたが、これから私と会ってくださる予定の方、「英語で何かしゃべってー」とか決して言わないでくださいね。よろしくお願いします(笑)。
by rapisblue2 | 2014-01-05 20:25

たった一つのことが変わった時に起こること※追記あり

電車に乗るのにPASMO(ICカード)を家に忘れてしまい、久しぶりに切符を買って乗車しました。最近はICカードしか通れない改札口も多く、つい先日もご高齢の方が切符を片手にどこに入れたらよいのかと困惑した様子なのをお見かけし、「切符は、こちらですね(にっこり)」とお声がけしたばかり。

今回初めて、出先から戻って来た小田急線新百合ケ丘駅の改札で、この表示にときめいてしまいました。なんてわかりやすい!!なんだか、かっこよくはないけれど憎めないこの感じ。
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地面にも表示がありました。嬉しくなって撮影している私・・・。
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しかも頭上には「きっぷ通れます」!!!!
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なんですかこの特別扱いは。「きっぷ通れます」ですよ? (笑) 「ICカード専用」というのとは訳が違います。
電車は切符で乗るものだった小学生時代のことを思うと・・・当時は想像もつかなかった世界です。駅員さんが切符を切ってくれていたあの音や感触も、ギリギリおぼえています。世の中なんという変わりよう!!
喜んでその改札を出たところで振り返ると、まだあった!
ここは2台並んで「きっぷ通れます」!!ウェルカムきっぷ!!!!・・・ついでに、改札の上にこんなライトがついていたことに初めて気づきました。
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ひとしきりはしゃいで笑って一日たってから、しみじみ思ったことがいくつかあります。


(1)小田急の努力を認めたい。誰にでも伝わりやすい字体、明瞭さ、表示の位置、申し分ない。

※追記※ちなみに翌日利用したJRは、IC専用のマークばかり目立つようになっていて、じゃあきっぷの人はどこ?と探さなければなりませんでした。東急はどちらの表記も弱く、まさに改札機の前まで行かないと判断しにくい。これじゃあ、はやくICカードにしなさいと暗に言われているようなもの。意図的な不親切??なんて疑っちゃったりして。Facebook上のコメントで知人より、環境建築学の分野では不便にして変化を促すなどはよくあること、と教えていただきました。
小田急は、あくまでもきっぷの人をきちんと誘導していて、弱者をケアする想いが感じられます。各社の意図やカラーがよくわかって面白いです。京王やメトロなど、他社もチェックしてみようと思います。


(2)この表示はずっと前からあって目にも入っていたはずだけれど、自分が切符で乗車して初めてはっきりと認知した。

(3)いつも通っている改札で私がこの日こんなに嬉しかったり楽しかったりしたのは、環境が変わったのでも自分が変わったのでもない。これまでとのたった一つの違いは、「切符を持っていたこと」。これだけで、こんなに見えるもの、感じるものが違うのか。

(4)これだけのことであれだけ感動できたのは、たまたま心の余裕があったせいかもしれない。

(5)つまりマンネリな毎日でもたった一つだけ(例えば朝起きた時のカーテンの開け方、駅へ向かって歩く道順、みかんの皮の剥き方、何でもいい。)とにかく何かを変え、その変化を味わう気持ちさえあれば、ものすごく面白いことが起こる(あるいは、面白いと感じられる)かもしれず、その積み重ねで数年後には今想像もできないような大きな喜ばしい変化がもたらされる可能性が充分にある。



(2)と(3)は似たようなことなのですが、「認知すること」と「面白い、嬉しいと思うこと」は別。同じ私という人間が同じように切符で乗車したとしても、「ああ、切符はここね」で終わった可能性も充分あったのだと考えると、(4)の「心の余裕」は必要不可欠だったと思います。そう、まさに、電車を降りて階段を上がって改札に向かって歩いて行く時はタイムリミットなどなかったし、ただ切符を改札に通すことだけを考えて歩いていました。その視界に飛び込んできた「きっぷ」の文字。興奮しました(笑)。


茂木健一郎さんは著書『感動する脳』の中で、

「感動があればあるほど(中略)自分の脳を変えることができるということになる」

と書いています。
まだ読み途中なのですが、とても読みやすい本です。科学的に証明されているものなので反論しようがありません。

「自分はアーティストを目指しているのだから、学校の勉強などはしなくてもいいと考えている若者を見かけたりもします。しかし、この考え方は誤解もはなはだしいと言えるでしょう。(中略)ベースとなるものがなければ、そこからは何も生まれないということなのです。」

「年老いたから脳が働かないなどというのはウソです。」

「単に自分が努力をしていないだけ。生きる意欲がなくなってきただけなのです。」


・・・などの記述もあり、なかなか痛快。脳には定年などなく進化し続けるものであり、芸術家が長生きするのも感動できるからだそうです。ここまで言われてしまったら、しっかり脳を使ってめいっぱい感動して生きていくしかありませんね(笑)!

この日はPASMOを忘れたおかげで、色々なことに気づけました。私にしてみれば、天から降って来たプレゼントのようなものです。ああ楽しかった。

皆さんは今日、どんなことに感動しましたか?
どんなに小さなことでも、出来事や感想を人と分かち合うだけでも、感動する力は磨かれていくのだそうですよ。
by rapisblue2 | 2014-01-04 23:46

三が日を振り返って思う、大切にしたい日本料理と道徳心

三が日が終わりますね。

今更感もありますが、こちらは元旦の二人分の精進おせち。梅酢れんこんは、数日前に丸ごと茹でてあったのを切って浸けただけ。黒豆は炊けず、数日前に炊いた小豆に金箔をあしらって。大根も煮てあったものをカットして、いただきものの柚味噌を挟んで楊枝で刺しただけ。柚子釜も恥ずかしいくらい適当な残り物・・・。手前の大和芋とお豆腐の蒸し物だけ、夫が時間をかけて、せっせとすり鉢を使って作りました。あまりにも地味だったので、つぶした南瓜と南瓜の種、にんじんを飾って。
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こちらのお皿は出汁をとったあと乾かしてあった昆布の素揚げに塩と金箔を振ったもの。信太巻きの中身は、ごぼうや大豆たんぱく、たまねぎなどの甘辛いため、これもいつかの夕飯の残り。巻き終わりに練りゴマを使って食べ応えと風味満点でした。ぬか漬けたくあんに、ちぢみほうれん草のおひたし、ねじりこんにゃく。
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なんだか、おせちと言えないくらい雑というか、適当というか・・・。お重もまだ持っていないので、こんな洋風なお皿。でも今の私にはこれくらいかなあなんて。

形から入ればいい、とりあえずそのへんのスーパーでウレタン加工の安いのを買えばいいという考え方もありますが、私にとってお重ってすごく特別なもので、まだ料理はお重を持てるほどの腕前じゃないし、塗り物を見極める目もないし、という古風な(?)どうでもいい思い込みというか、こだわりというか、あるみたいです(笑)。でも、いつどのくらいまで料理が上手くなったらお重を買いに行くのか、料理って点数じゃないですし。もしかしたらどこかから機会がめぐってきた時が、その時なのかな。その時にはありがたく頂戴しよう。なんて思っています。

翌日には王道おせちをたっぷりいただけることがわかっていたので、今年もこのために特別に買い出しなどはあまりせず、数日前からの残り物もつかったお料理にしました。
無理せず自分が食べたいものだけ作りました。来年はもうちょっとレベルアップしたいものです。今年は気合いを入れたお雑煮が大成功だったので、よしとしましょう!


大晦日の夜、急に思いついてA4用紙でこんな箸袋をこしらえました。名前だけは力こめましたが、やはり全体的に雑というか・・・気持ちのブレ(はやく終わらせて寝よう)が表れてます(苦笑)。本当は家主が書くものだそうですが、気分だけでもと! これも来年以降は暮れのベーシックな「やること」に追加したいです。
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箸袋や祝い箸もそうですし、おせち料理ひとつひとつにも全て意味があり、先人たちの心や恵みがいっぱい詰まっている。素晴らしいことだなあ、すごく面白いなあと素直に思います。だからこそ「ベジおせち」という言葉は使いませんし、お正月にそれこそ「もどきもの」は作ろうとも思いません。私なりのこだわりです。

あ、また話がこういう方向に・・・?(笑) 
せっかくだから、このまま進んじゃいましょう!


はい。
私は日本から一度出てみて、「日本人であること」をもっと堪能したいと思うようになりました。料理の概念、料理ジャンルへの興味が変わりました。

マクロビオティックを学び始めてからこの数年間は、野菜料理のレシピやマクロビオティックの法則にのっとった調理法ばかりを知りたいと思っていましたが、その熱がすこし冷めたというか、いったん手放してみたくなったというか。
和食の基礎や歴史、文化背景、代々伝わるさまざまな郷土料理を知りたくなってきたのです。お菓子についても同様で、和菓子、いえそれ以前にまずはお米やお豆を美味しく炊くことが大前提だ、と。
でも、そういった文献を読んでみたりすると、結局マクロビオティックに通じるものがあり、そこに落ち着くわけなのです。マクロビオティックは日本で生まれたものだから当然と言えば当然なのですが、これってすごく素敵だなあ、嬉しいなあと思っていて。

最近古本で購入した『武士の食卓』は、「加賀藩前田家・御食事係の末裔の著者が、日々の限られた食事から必要なエネルギーを摂っていた武士たちの食事を現代風にアレンジして紹介」しています。(幻冬舎HPより)
前書きに書かれている「武士の食卓」に必要なエッセンスは以下の4つ。

陰陽五行に基づいた「食べ方」
必要なエネルギーと栄養素が摂れる「食材」
内側から身体を整える「薬味」
日本に昔から伝わる「調味料」

「健康のためには腹八分がいいよ」とはよく言われることですが、武士の時代は「腹八分目、心に二分」という教えだったそうです。この後半、心にも二分の栄養を与えなさいという部分まで知っている現代の日本人はどれだけいるのでしょうか? こんなに素晴らしい教えがあったなんて!どうして肝心なところが薄れてしまったのだろうと愕然としてしまいます。食育食育と、国がお金をかけて大々的に新しいことをやるより前に、こういう言葉を掘り起こして見直し伝えて行く大人が増えていくことのほうが、未来は明るいのではないか? ・・・私はそう思います。


そしてもうひとつご紹介したいのが、『五感の偈』です。
これは久しぶりに開いた精進料理の本から、はさんであったプリントがひらりと落ちてきて目にした言葉。2年ほど前に受講した鎌倉不識庵の藤井まり先生の講座でいただいたプリントだったと思います。


一つには、功の多少を計り彼(か)の来処(らいしょ)を量(はか)る。
二つには、己が徳行(とくぎょう)の全欠を[と]忖(はか)って供(く)に応ず。
三つには、心を防ぎ過(とが)を離るることは貪等(とんとう)を宗(しゅう)とす。
四つには、正事良薬 為療形枯 : 正に良薬を事とすることは形枯(ぎょうこ)を療(りょう)ぜんが為なり。
五つには、為成道業 因受此食 : 成道(じょうどう)の為の故に今この食(じき)を受く。

(解説)
一つ、この一椀の食物は、たとえ一粒のお米、一茎の菜といえども、それが工作され、種巻かれてと、限りない人々の手を経て、いま自分に与えられていることを思い、感謝していただきましょう。

二つ、こうして無限のめぐみによる食物をいただくについては、常に反省を忘れず、その恵みに値するよう、自己の向上を目指しましょう。

三つ、美食に向かえば貪りの心をおこし、祖末な食膳には怒りと不満をいい、毎日同じ食事にあえば愚痴をこぼす私たちの心のゆくえを熟視し、これらの三毒の迷いを改めましょう。

四つ、薬は甘苦によって増減してはいけない。日々の食物は、この生命を支えるためにあり、美味、不味、好き嫌いの心を離れていただきましょう。

五つ、食物をいただいてこの身心を支えると共に、一切の生命に感謝し、この日々を、自他の向上としあわせを目指し、毎日を大切に生きていきましょう。(解説ここまで)


こういう感性はとても日本人らしいのだろうなと思うのです。「いいじゃん!おいしければ♪」なんて言うような現代っ子からするとなんだか厳しいよコワイよ〜なんて感想も、もしかしたらあるのかな。うーん、どうなんでしょうね。

先日仲間内でも話題になったのですが、道徳心の捉え方が変わってきているよねということ。
最近の子育ては理詰めの厳しさが多いんじゃないかと。たとえばお茶碗に米粒を残すような時、「世界には貧しくてこの一粒のお米も食べられない人がいるんだから恵まれていると思ってきれいに食べなさい」というような実にリアルな指導をする。でも世界のことを知らなかったという以前に自分たちが充分に食べられなかった昔の日本人は、「米粒残したら罰があたるよ、目がつぶれるよ!」の一言で怖がらせて食べさせ、それが躾と言われていたわけです。
ここで問いたいのは、昔は良かったとか、どちらが好みかということではなく、こうした時代の変化を、子どもに接する大人たちがどれだけ感じているか、どれだけ自覚して言葉を選んでいるかということ。

ありのままを教えて理解を促すことが、実はその子どもにとって重荷になり、道徳心というよりも大人の視点を先取りしているだけになっている可能性もあります。
一方、目がつぶれたら痛いだろうな、見えなくなるってどういうことか?!と、幼い頭で懸命にイメージし、自分をコンロトールするという意味では怖がらせることは一概に悪いとも言えませんが、イメージ力が強い子にとってはものすごいストレスにもなりかねませんよね。(私はそういうタイプだったなあ〜、本当に怖くて怖くて、眠れないこともありました。)

そう思うと、この『五感の偈』はやたらに問題を広げ過ぎることなく、ムダにイメージさせて怖がらせることもなく、道徳心を育てるのに実に真っ当な、普遍的なものだなあと思わされます。さすが、食に限らず様々な分野で取り上げられているだけありますよね。

西洋で「禅」「ZEN」がピックアップされ、スティーブ・ジョブスもハマっていたそうですが、今やシリコンバレーの企業でもこぞって座禅がおこなわれるほど人気でその効果が科学的にも認められているとのこと。素晴らしいことだなあと思う反面、日本人のほうが知らないことばかりになっていくんじゃないかとちょっと心配な気持ちもなきにしもあらず、です。海外から見ると、日本という国がどんなに不思議でこまやかで魅力的な国に見えるか、ということがわかったからこそ、今からでも遅くない、誇りを持って日本を学ぼうと思います。


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さて、我が家は元旦はふたりで過ごし、2日は両家親族の集まり(昼の部、移動して夜の部)で、新年気分をたっぷり味わいました。お正月はどこも似たようなものが並びますが、それぞれの家で味付けも、食べたり片付けたりのペース、もちろん会話も全然違ってくるので楽しめますし、姪っ子甥っ子たちの姿を見ているだけでほんとうに幸せな気持ちになり、和みます。
義祖母の黒豆がとっても美味しかったのでコツを聞き出そうとしたら、「いいお豆を買うのよ♡」とこっそり教えてくれました。おっしゃる通りです(笑)。

結婚して6年目になり、「お嫁さん」と呼ばれることへの緊張とむずむず感は薄れ、むしろ「本当にここにお嫁に来てよかったなあ!!なんて幸せ者なんだろう!!」と思うことが年々増えてきました。決して気が利く優秀なお嫁さんではありませんが、この人たちが好きだなあ、自分を成長させてくれているんだなあと思える気持ちは宝物です。そんなこともあって、我ながらだいぶ肩の力が抜けてきたような気がします。
実家も昨年で一気にファミリーが増え、ベビーも誕生。男女比は逆転!めまぐるしい大変化の後の、ほのぼのうれしい新年会でした。

そして今日は午後から夫も含め、幼稚園教諭の大先輩ご夫婦とともに保育の話をたくさんすることができ、頭が冴えました。米国の3ヶ月で培ってきたことを聞いてもらったり行き場のない疑問をぶつけてみたりすると、筋の通った人生観、教育観から、あっけなくポンッと言葉が返ってくる。いとも簡単にするすると紐解かれていくような感覚。身近にこんな大先輩がいるなんて、ああ、これも本当に幸せなことです。これからもたくさん相談したい方々です。

夫とゆっくり過ごせるのも明日まで!日曜日からは、それぞれあたらしいチャレンジが始まります。
by rapisblue2 | 2014-01-02 23:27