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「こりゃだめだ」の日に振り返り、新たな出発

先週一週間、色々と頑張ったせいか、低気圧のせいか。はたまた新月近しということもあったのか。昨日は全然起きられなくて、大寝坊しました。

窓の外は大荒れの天気。お昼までに出かけたい場所があったので大急ぎで支度して、天気予報も確認せずに外へ出たら、ものの2分で傘が折れ、心も折れ(笑)、「こりゃだめだ」と素直にあきらめて帰宅。

無性にカレーうどんが食べたくなって、残っていた大根&じゃがいものカレーに寝かせておいた昆布COBOとお醤油、少々の甘酒で和風味に。ぐつぐつ煮込んでたっぷりいただきました。
その間に洗濯物をまわしたのですがそれを干すことも、食器の洗い物さえも食後は「どうして?!」というくらい一切やる気が起きず・・・ハッと気づいたら円卓のわきでうたた寝。
この日二度目の「こりゃだめだ」。そのまま目覚ましもかけず、布団にもぐり込みました。ゴーゴーとうねるような風雨の音も、この時のわたしにはオルゴールのように眠気を誘ってきます。

次に目覚めた瞬間、目に映ったのは、まるでさっきとは別の日のような穏やかな空。
淡いピンクやオレンジが水色と織り混ざりながら、ゆったり、たゆたうような時の流れを感じさせました。

「ああ、晴れてる。」と思わずひとり声に出し。
障子も閉めずに寝ていたんだわ、と思い、起き上がりました。

明るいけれど、時計は18時をまわっていました。あら、あら。3時間以上は寝ていたみたい。

・・・そんなことを追って理解していくあいだにも、空の色はどんどん濃くなっていきます。そして、ああ、一気に暗くなってしまいました。夕陽が落ちて、今日は終わってしまったようです。このきれいな空の下、せめて少し散歩にでも・・・と思った自分はもう過去のものになりました。

夕陽が落ちたから今日が終わるなんて、ずいぶん後ろ向きなようで。もちろん、電気を煌煌とつけて、「今日のわたしはこれからだわ!」っていうことだって、できるのだけれど。
なんだかそのときは、おしまいモードでした。

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わたし、自分に優しくなったなあと思います。
以前はこういうこと絶対に許せなかったのです。

苦しい中で自分に鞭打って頑張ったとしても満足できなくて、なにか釈然としないものが渦めいていたり、それこそ今回のような日は「今日なんにもしてないじゃん!」「やることいっぱいあったのに、一日無駄にしてしまった!」「間に合わなかった!」とか、自分を責めるのが大得意でした。

さらにひどいことに、そのモヤモヤを自己処理できず、イライラして夫にあたることもよくありました。その夫が思うように受け止めてくれないと、「もうっ!!」とか言って枕やティッシュ箱を床に向かって投げたり、バランスボールをバンバン叩いたり!! ・・・ほんとです(笑)。
子どもの時からすごいかんしゃく持ちで、思い通りにならないと仰向けになってワーワー駄々こねるような子でしたから自分では不思議はないのですが、穏やかなわたししかご存知ない方は想像がつかないかもしれません。「藤樫さんって、怒ることあるの?」ってよく聞かれますが、とんでもない(笑)。
本当につい最近、1〜2年前までの話です。
なぜ、どのようにして変化したのかはまた別の機会に書きます。


昨日はそのあと結局、ためていた日記をせっせと書きました。予定を書き込んだカレンダーを見直しながら、2週間分!・・・すでに日記じゃないですね(苦笑)。まだ終わらず、あと一週間分書いたら、追いつきます。今年、これだけは続けたくて大切にしています。

今日は、大事なミッションを終えた夫が出張から帰ってきます。
この一週間、お互いにそれぞれの場所で、大きな目標を掲げて頑張りました。
それぞれの進展報告をし、思うこと感じることをシェアし合えるのは嬉しかったし、夜におはよう、朝におやすみと言う久しぶりの時差のやりとりもまた懐かしかったりしたけれど、やっぱり早く会いたいです。

新月。新しい始まりにぴったりの日ですね。
今日の朝日は、特別に明るく、美しく感じます。
by rapisblue2 | 2014-03-31 06:33

『赤ちゃん学』の講座で考えたこと〜色彩環境〜

今日は午前中、地元区役所の会場で開催された「赤ちゃん学」の講座へ。

母校玉川大学で、赤ちゃんの言葉と認識の発達のしくみを明らかにするための様々な研究がおこなわれている赤ちゃんラボ所属、(正式には、玉川大学脳科学研究所応用脳科学研究センター心の発達研究部門所属)岡田浩之教授の100分間の講義です。

講義内容で印象的だったのは、岡田教授の激しい自分ツッコミ・・・
ではなくて(笑)、以下の3つ。


まず
対称性推論について
※以下、『対称性推論は言語学習のタマゴかニワトリか:ヒト乳児とチンパンジーの直接比較』より引用
ヒトの非論理的であるが効率のよい思考の背景に、本来一方向でしか成り立たないA→Bの関係を逆も成立すると推論してしまう対称性推論を行うバイアスがあると言われている。対称性推論は、ことばと指示対称の関係を理解し語意推論をするために必須である。


それから、
心の理論の発達と公平性・互恵性の関連について
・・・これは、子どもがどのように「人に親切にする」ことを学ぶのか、なぜそうするのか、という内容での様々な研究と考察。人がどのように考えているか(感じているか)を考える能力について、とてもわかりやすい事例があり大納得。これを知っているか否かで、育児、保育に関わる人すべての『気持ちの余裕』が全然違ってくるはず。無駄にイライラしなくてすむはず!


後半には、岡田教授がおもちゃ会社の開発に携わっていることから、
アンパンマンはなぜ赤ちゃんに好まれるのか
というテーマのお話もありました。



そして最後の質疑応答の時におっしゃっていた言葉に、これまでの疑問がスッキリ。

「赤ちゃんが、感情的に好むというのではなく、単にわかりやすいから反応するだけのことです」

「ですから、そういう観点で月齢に応じて最も反応しやすい色や形の提案を(おもちゃ会社に)させてもらっているのであって、このおもちゃで遊んだから頭が良くなるとか賢くなるということではありません」



・・・これまでわたしは、「赤ちゃんは原色が好きなんだよね」という会話が、どうも気になって仕方なかったのです。なぜかというと、少なくともシュタイナー教育で大切にしていること〜本意ではありませんがすごく簡単に言ってしまうと、幼いうちは母の胎内にいる時と同じように柔らかな環境の中で育てる、つまり淡い色彩の中に包まれるような環境を整える、早いうちに目覚めさせない〜というものと、真逆の発想だったからです。

写真は、典型的なキッズスペース例と、米国シリコンバレーで見学したシュタイナー教育の学校の幼児クラス。
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赤ちゃんは視力(色彩識別力)が弱いので、ハッキリとしたもののほうが見えやすい。新生児がいちばん認知できるのは白と黒の市松模様のようなもの。妊婦さんの乳首の色が濃くなるのも、赤ちゃんが目標物をすぐに見つけられるため。生後すこしずつ、次第に赤などの原色を目で追うようになり、ほかの淡い色なども認識していくと言われています。

これはわたしのまったくの個人的な感覚ですが、「赤ちゃんは原色が好きだから、原色のカラフルな遊具やおもちゃで部屋をいっぱいにしてあげる」というのは、やっぱり違和感を持ち続けることになりそうです。でも、淡い色だけが良くて、赤や緑や青などのハッキリした色がダメということではありません。色そのものに、良いも悪いもありませんよね。自然界はくすんだ色、鮮やかな色、様々なトーンで彩られています。それが自然なことです。

わたしたち大人のとらえかた、子どもへの色の与えかた(規制のしかた)が偏りすぎていないか、あるいはあまりにも考えずにいないか、ということを、肩の力を抜いて今一度見直してみたいと思いました。

わたしが保育の環境設定でも、自分の住環境でも最も大切にしたいのは、何色を置くべきか否か、ということではなくて、
全体が調和しているかどうか。美しいかどうか。です。

自然素材だけでまとめられた優しそうなお部屋でも、ただ集めただけというようなところには関心を持てなかったりします。逆に、たとえ強烈なショッキングピンクがメインのお部屋でも、細部に至るまで差し色なども考え尽くされ、調和のとれた空間であれば、わたしはぜひ子どもに見せたいし、そこで高揚する感覚をぜひ味わってほしいと思います。


これは学生の時、当時のわたしにとって趣味の本としては大出費でしたがどうしても欲しくて思い切って購入し、大切に持ち続けている大好きな本。古代から行われてきた色彩を利用したヒーリングについてと、とっても素敵なお部屋の写真がたーくさん詰まっています。
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※以下、解説より
「カラーセラピーの基本原理、すなわちチャクラシステム(身体の精妙なエネルギーセンター)と光に含まれる虹の7色について、わかりやすく解説。次いで全ベーシックカラーによる効果と、色が気分をリフレッシュして高揚させたり、バランスをとって落ち着かせる仕組みを詳しく説明していきます。」
「カラーセラピーの基本原理と、色彩&インテリアデコレーションへの現代的アプローチを組み合わせる方法がわかります。」


・・・とは言え、読み込んでいるわけではなくて。ただ眺めているだけで幸せな本です(笑)。日本人の、というか、わたし自身が培ってきた「おりこうさん」な色彩感覚に比べて、断然ぶっとんでいて、とてつもなく美しかったりして、とにかく衝撃でした。



・・・・・・・・・・・・・

ところで、赤ちゃんラボはわたしが卒業した翌年に開設されたため、詳しいことはよく知らないものの、かなり面白そうだなあ〜と以前から気になっていて。今回の無料講座を知った1月に、参加条件が【赤ちゃんのいるパパ&ママ対象】にも関わらず強気で電話したのでした!

「子どもはいませんが、保育士なのでとっても興味がありまして・・・」と申し込みを希望したところ、若干渋られたものの(笑)OKが出ました。さらに、自分の他にも誘えば興味がある教育関係の人がいると思い、そういう人たちを誘っても良いかどうか聞いたら、それは「申し込みがたくさん来ていて席がないので」という理由でNG。しかし今日行ってみたら・・・空席が目立ちます。まだまだ、余裕で人が入れる状況。
とても有益で面白い内容だったので、妊婦さんとか、教育関係者、学生など、対象をもっと広くしたらいいのになあ〜もったいない、と思ってしまいました。主催が区の児童支援の課だから、告知上そうせざるを得ないのかもしれません。
でも、無料でこんな学びができるなんて、すばらしい!そして、赤ちゃんの世界ってすごい!!現役ではないけれど、今後も「保育士」使わせていただきます♪


今年で10周年の玉川大学赤ちゃんラボは、これまで1500人以上の赤ちゃんの協力によって、発達に関する幅広い研究をされてきた機関です。
生後0ヶ月〜30ヶ月の、研究協力できる赤ちゃんを常時募集されているとのこと。

ご興味ある方は、ぜひ以下のホームページ『赤ちゃんラボ登録方法』をご覧になってみてくださいね!

http://www.tamagawa.ac.jp/brain/baby/06_entry/entry.html
by rapisblue2 | 2014-03-29 20:42

快も不快も、自分を大事にできているかどうかで決まる? わたしのセルフカウンセリング

先日、Facebookでこんな呟きをしました。

時の流れを感じるよー。上の階の住人のご家族から☆
五年前くらいにお兄さんうまれて、2、3年後に妹ちゃんができて。去年くらいから子どもが動いてる色んな音がするようになって、最近はドスンドスン、何やってるんだがわからないけど響いてくることがある。けっこういい音するのよ(笑。でも、なんかね、成長してるんだなーとほのぼのするんだよー。下の住人がウチで良かったねと我ながら思ったりして(笑。寮生活の時の、あまりにも筒抜けな感じはストレスだったけど、団地育ちのわたしは、人の生活音が多少したほうが落ち着いたりする。うん。
上の音にイライラするようになったら、ココロの危険信号なのかもしれないな!
うん。



この日は素直にこう思えていたのです。
ところが、なんだか今日は、上の階のお子さんの足音や何かが転がる音がうるさく、不快に感じています。これって何なんでしょう。

1、楽しそうで羨ましい
2、今日の自分の若干沈んだ気持ちとかけ離れている


1はわかりやすい嫉妬心みたいなものだけど、2ってどうして不快になるの?
だって、自分が沈んでても、あー上の子は元気だなあって喜べるときもある。この違いってなんだろう?

・・・わかった。今日わたしは、自分のこと大事にできてないからだ!
沈むことじたいは悪いことじゃないのです。
たとえ気持ちが沈んでいても、それを認めて自分のこと大事にできているときは、外で起きている関係ないことも受け入れられる。

対して、自分のことを大事にできてない、・・・たとえば過食したり、思っていることを自分の中に閉じ込めてしまったりしていて、そのことに罪悪感を感じたり、あーあダメだなあとか思ったりしてる時には、周りで起きていることも認められないのです。

やっぱり自分を認められることが何よりも大切だ、と気づかされます。

わたしは、子どもの時に自分のことが嫌いでした。色々な出会いがあって、時にはドーンと大きなきっかけがあって、でも少しずつ、ほんとうに少しずつ、だんだんと変わっていきました。今は自己肯定感というものが、当時に比べるととても上がったと思います。じゃなければこんなブログだって書けません。

人生何があっても、少なくとも自分のことが好きだったら、いえ、大好きじゃなくてもいいんです、ただ認めることができたら、わたしたちは生きていけると思っています。
自分が命として存在し、社会の中で必要とされていることを認めることができたら、それで充分なのです。子どもたちに、どういう子になってほしいかって言ったら、「自分のすべての選択や在り方を素直に認めることができる」ということかなと思います。人に優しい子、愛される子、もちろんですが、まずは自分に優しく、自分を愛することができてからです。
子どもに多くのものを求めがちなわたしたち大人は、まず自分はどうなのでしょう?
それができているのでしょうか?



…と、わたしはこうして文字に起こしたりして、セルフカウンセリングすることがとても多いです。モヤモヤした時に、こうして冷静に言葉にするだけで心が癒えていくのはありがたい。

そうしたら今ね、もう上の足音、可愛く感じてます。ダダダダ、トコトコトコ、ごろごろごろ!聞こえてくる音は同じで、状況は何も変わってないのにね。



ところで、え? さらっと書いてるけど怜子さん過食とかするの?

うん、しますよ!
嘔吐は怖くてしたことがないのですが、10代からの名残りで、たまに出てきます。過食関連の本もずいぶんたくさん読みました。でも、本を読んで頭で理屈をどんなに知っても、そうそう変わるものではありません。どちらかというと、対人関係についての行動療法などを学び、自分の考え方の癖をまずは自覚して、客観的にアプローチしていくという方法で変わっていった感があります。

それでも、それでも、やっぱり今も出てきちゃうんです。

トホホだけれど、まあ、これもわたしなのです。一応食事のことも学んで身体が変わったので、さすがに以前と違って、お砂糖たっぷりのケーキ、チョコなんかは食べない(今はもう味覚が拒否して沢山食べられない)んですけどね。

これはカリフォルニアのレストランで勇気を出して頼んでみた、エッグベネディクト。下はパンじゃなくてリゾットを選びましたが、逆に重たかったかも!こういうのを、以前はガツガツ食べていたのですが、今はちょっとがんばる感じ(笑)。サイドのベイクドポテトが美味しかったなあ♪
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SNSで感情は伝染する、けれど・・・

ところで先日、Facebookの投稿内容の感情は読み手に伝染するという内容の記事がありました。きちんとした大学での研究結果ですから、それに対して異論はありません。これを利用して幸福の流行を起こそう、というのも面白い発想だなと思います。

けれど、みんなが笑顔になれるようないい事だけ書くようにしよう、というのは違和感があるのです。
何よりも、書き手(発信者)に全責任あるんですよ、ともとれる内容が、個人的には納得しがたい。

読み手の感性や、読んだその瞬間の精神状態によって、同じ投稿も全く違うように感じるものですよね。わたしに起きた、さっきの子どもの足音の件と同じように。

人が悲しい言葉や下品なことを投稿したからこっちも気分が悪くなる。
素敵な話には群がって「イイね!」やシェアし、幸せな気持ちになる。

研究の結果それが人の性だというのはわかりますが、
ホントのホントは、
人の投稿にいちいち一喜一憂しすぎず、のめり込みすぎず、「わたしはわたし」でいられる人・・・せめて、そういう安定感を得るセルフコントロールに興味を持つ人が増えればいい話なのでは、とわたしは思うのです。
たとえば300人いる友人みんながみんな、「いい気分だわ!」「今日は充実してた!」って言っているのは気持ちが悪いですし(苦笑)、そうじゃないければいけないみたいな風潮はどうかなあと思います。そんなふうに無理矢理にがんばった末に、たとえ幸福の流行なるものが起きたとしても、わたしは怪しいなと思ってしまいそうです。
だからと言って、やはりSNSを愚痴吐き場所みたいに使いまくるのもどうかと思いますけどね。

わたしは何にせよ、発信するのも受け取るのも、主体的にするということをいつでも大切にしています。
by rapisblue2 | 2014-03-19 20:58

季節のうつろい、ごはんのこと。

今日はいいお天気!
だいぶ春めいてきましたね。

2月は宣言どおり、かなりの日数引きこもっていました。いろいろな事情で、カフェのお仕事も日数を減らしていただいていました。大雪もあったし、なんだかとても冬が長かった気がしています。

流行りの言葉で言えば、『自分と向き合う』とか『感情のデトックス』みたいなものがいろいろありました。でもそれでもがき苦しむようなことは、なかったですね。健やかで心地よかったかと言われると違いますが、一日でもはやく、少しでも健やかになるためにできる事はないか?と考え実践してみたり、じっと身体の声を聞いてみたり、というのはとても楽しく有意義な日々でした。もちろん夫をはじめ、身近な方々の支えをたくさん感じました。

同時に、ただひたすら待ったり耐え忍んだりという静かなマインドも、ベースにあったと思っています。
これは米国滞在後半で、かなり鍛えられた部分です。
でもここは日本!
やろうと思えばできる環境があるのは、本当にありがたいことですね。

この期間に試したことは、とても面白い体験と学びになり、自己完結しています。でも自分だけのものにしておくのはもったいないと思うので、いずれこのブログでもご紹介したいと思います。


気温が上がってくるにつれて、食べたいものも変わってきました。
今週のCAFE KIRAKIRAのメニューも、まさに冬から春への移り変わりを感じるプレートでしたよ。お客さまにお料理のご説明をしながら、「冬ありがとう、ようこそ春♪」なんて気持ちになりました。


こちらは今朝のひとりブランチ。
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切り干し大根みじん切り&おから&タマネギみじん切り&ひえ粉のお団子(蒸して→揚げ焼きしたもの)に、ケチャップと人参ジュースと醤油がベースの甘酸っぱい葛粉の餡を絡めて、炊きたて玄米ごはんにドンッ!
散らしたかぼちゃの種との相性ばっちりでした。ぬか漬けも一切れ、ね。

千切り人参は、昨日の朝、塩で蒸し煮してオリーブオイルと酢で味付けしただけのサラダの残り。

おつゆは、前日のひじきとネギのあっさり塩味スープに、切り干し大根の戻し汁、醤油、生姜で味を整えて、こんにゃく、油揚げ、大好きな春菊をどっさり入れたもの。あ、このおつゆの上澄み、葛粉餡にも使いました。

今の夫婦ふたり暮らしでは一から料理することってあまりなくて、そもそも一人分とか二人分を作るのが苦手だし、同じものをずっと食べるのも飽きるので、いつも大体こんな感じで、残り物に新しいものを継ぎ足しながらの料理。お味噌汁がほんの少しだけ余ったときも、次の料理の時に出汁やつなぎの水分としてどんどん使いますし、白練りごまや豆乳を足して別のスープにしちゃったり、自由です(笑)。これはコクがあってマイルドで、わかりやすく言うととんこつスープみたいな雰囲気。夫も私も大好き。さらにこれが残ったら、パスタ、うどん、そうめんなど麺類のお供などにして、またちょっと野菜やハーブ、スパイスを加えたりして食べきります。

あとは、上記のおから団子みたいに、ごはんでも野菜でも海藻でもナッツでも、なんでも細かくして、片栗粉、葛粉、ひえ粉、小麦粉、米粉など気分で使い分けてまるめて団子にして蒸したり焼いて食べちゃう。それ自体に塩味しっかりつけることもあるし、酢醤油をじゅっとかけたり、味噌をつけたり、今回みたいに餡に絡めたり。組み合わせは無限大。

こんなわけで・・・いわゆる「うちの奥さんの料理でこれが一番!」みたいなメニューが、たぶんうちの夫にはありません(苦笑)。
でも、発想をおもしろがって、感心しながら食べてくれる人なので助かっています。あとは、やっぱりきちんと丁寧な気持ちでつくった時のお味噌汁はかならず褒めてくれる。

料理は好きなほうでしたが、人に食べてもらうことについてはものすごいプレッシャーと苦手意識を感じていた結婚当初。
マクロビオティックに出会い、ストイックな時期を経て、その大枠は支持しながらも視野を広げ、最近はまたちょっと違う感覚になってきたわたしですが、めまぐるしく変化してきたわたしの料理を、ただただ認めて食べ続けてくれている夫の懐の深さがありがたすぎて、もう、困っちゃいますね(苦笑)。
by rapisblue2 | 2014-03-15 11:02

3ヶ月という単位

米国でお世話になっていた保育室の子どもたちに年始のご挨拶を送ったのですが、先月またひとり、お返事が届きました。
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れいこせんせいへ
みんなとあそんでくれてありがとう
びょうきなおりましたか?
げんきですか?
れいこせんせいのこと みんなだいすきです♡


・・・さすがに、泣けてきてしまいました。

だって、いなくなってから3ヶ月近くにもなるのに、この言葉。

そうだね。10月末の肺炎で、しばらくみんなと会えなくて、とっても心配させてしまったね。
あー、会いたいなあ!
実は今月末一週間ですが、夫のみ仕事でまた渡米します。あの子たちに会えるんだ、いいなあー!!と、ものすごくうらやましいけれど、夫を通して彼らの成長をまた身近に感じられることはとても嬉しいので、送り出すのも楽しみ、という複雑な気分です。


備忘録として、2月28日に、書き留めていたことを。



今日で2月も終わり。
帰国して3ヶ月がたとうとしている。9月にアメリカに行って、むこうで色々なことがあり、そして帰国。その期間も3ヶ月だった。

やはりアメリカでの、初めてだらけで泣いたり笑ったりの3ヶ月は、濃厚な体験だったなと思う。夫と毎日ずっと一緒だったのも、すでに懐かしいし本当に本当に貴重だったとつくづく思う。

なんだか日本で過ごしていると、
というか何かしらの期限がないと、気づいたら3ヶ月という感じ。でも、よく言う「あっと言う間」ってあまり言いたくない。時間の感じ方は心の持ちようなんだと知ったから。

わたしにとって3ヶ月というのは、これからもずっとずっと、振り返る区切りの期間になるだろう。そして今後もきっと、比較対象は32歳だった自分、アメリカで過ごした夏から秋への3ヶ月。

そう、蝉の大合唱の酷暑の中飛び立って、爽やかなカリフォルニアに降り立ち、生まれて初めてホームステイをして、サングラスを買って、パンプキンがすごく愛されている国のお祭りに行き、ファーマーズマーケットめぐりをし、さまざまな家族背景の子どもたちと触れ合えた3ヶ月。肺炎になって、高熱を出して、5年ぶりくらいに薬を飲んで、引っ越しをして、西海岸に沈む夕日を毎日眺めながら療養して。最後の最後は、わたしたち夫婦にとって忘れられない日になった、サンクスギビング。

わあ、こう書くとすごく素敵だ(苦笑)。

あの時、90日間という限られた中で藤樫怜子としてどう生きるかを考えていた自分。

特に肺炎になって療養していた時は、Facebookでもブログでも公言せず、静かにしていた。
あの11月、最後の一ヶ月がわたしにもたらしてくれたものは、当時感じていたよりも更に偉大だったということに、今気づいたばかり。

人と会わず、ひたすら自分の身体や心と向き合う。それは過去や未来と向き合うことでもあった。苦い思いも抱くし、妄想もたくさんした。
そしてそれがすべて、ただ自分に返ってくるのだ。その繰り返しの日々。時に、いつのまにかそこから逃げていることもある。それでもやはり、返ってくるだけのこと。

2月の自分を振り返ると、11月と通じるものがあったような気がする。

次の3ヶ月が終わったら、6月になる。
二回目が終わったら9月で、あと一回で12月。
今年は3ヶ月があと3回なんだな。

明日からまた新たな気持ちで、暮らしていこう。




帰国前日の午後、最後に散歩した海岸。
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by rapisblue2 | 2014-03-04 13:22