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我が家のパートナーシップ〜結婚8年目を歩き出す〜

先日、結婚8周年の記念日を、夫婦で穏やかに迎えることができました。

8年前、横浜山手ロイストン教会にて。
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その日、外出先へ向かう途中にふと気づいて、

わたし「これからもよろしくお願いしまーす」(若干照れ気味)
夫「おう、よろしくお願いしまーす」(ぼーっと前向いたまま)
「・・・」
「・・・」

って、あまりにもサラッと挨拶が終了。
なんかこの瞬間は「記念日だね」「そうだねっ」(キラキラキラ)みたいなのが全然なく。
一緒なのがもう当たり前すぎる幸せ、とも言えるけれど。
可笑しくなっちゃって、「時の流れを感じるね〜」なんて、笑い合いました。

身長はほとんど変わらないのに、夫のほうが肩の位置が低いので
手をつなぐと下にひっぱられる感じがして、重たい。疲れる。最近はそんなことも言うようになったわたし(笑)。
じゃあどうしたら良いのか?!
と、なんと8年目にして、長年定番になっていた手のつなぎ方を変更するべく色々試してみたり!

あまりお友達の前などではしないのですが(ここ、日本人よね・・・笑)
おじいちゃんおばあちゃんになっても、ふたりで歩く時はどこかで触れ合うスタイルが続いていたらいいなあーと思っています!

お互いの性格もあって、学生当時からケンカというのはほとんどしたことがありませんが、それでも山あり谷あり、本当に色々なことがありました。
おつきあい期間が長くても、結婚してから知ったり理解していったことというのは、もちろんすごくたくさんあります。

これはお互い様、ガッカリするようなことも、びっくりするような意外なこともたくさん。でも決してマイナスな意外性だけではないのです。
お互いの子ども時代の話をしていくうちに、全然ちがうようでいて、実はとても似た境遇を体験していることがわかって・・・そうか、だから通じ合う部分があるのかなあと腑に落ちるという、うれしいこともありました。

最近思い出したのですが、わたしは10代20代の頃、何もかもわかりあえる、何もかも同じように感じ合えるのが最高のパートナーなんだと信じていました。

だから、共感してもらえないような時は落ち込んだりイライラしたり。

でもある時、(結婚前だったかな?後だったかな?)夫が

「感性豊かな怜子とまったく同じように感じることは、できないよ。別々の人間であって、俺は俺だから怜子にはなれないし、なりたくない。」

と、怒るでもなくあくまでも普通のトーンで、あっさり本音を言ってきたのです。

その瞬間はガーン!!と谷底に突き落とされたような気持ちでしたが、

「でも、気持ちに寄り添うとか、理解するために努力することはしていきたいと思ってるし、話はいくらでも聴く。」

と。

「同じになれないイコール別れ」ではないのだとわかった時、本当の意味で人を信頼するとか、愛するということの意味に初めて気づけました。それからわたしは相手を失う不安や恐怖を、ふうわりと手放すことができました。

「どうせ人は自分のことなんてわからない」って使い古されたようなフレーズですが、「どうせ」って言葉がくせ者ですよね。
人の気持ちがわからないのなんて、本当は、笑っちゃうくらいあったりまえのことなんです。それは上記の夫の言葉そのまんま。
人は自分じゃない。自分のものでもない。
(子どもだって同じ。)

こんなことも経て、ゆっくりじっくり、パートナーシップを育んできたなあと思います。

時がたっているからこそ、わたしが意識しているのは、やっぱり感謝を伝えること。感謝する、だけじゃなくて。ちゃんと伝える。小さなことでも。

たとえば、一緒に外出先から帰ってきて、先にマンションのエントランスや玄関の鍵を開けてくれた時。
消し忘れていた電気を消してくれた時。
買ってきた食材を冷蔵庫に入れてくれた時。

洗い物や洗濯物を干すとか、そういうのはもちろんですが、もっと細かい、やってくれてあたりまえ・・・になりがちな部分への感謝の気持ちを、いつまでも大切にしていきたいです。これは、わたしばかりが「ありがとう」「ありがとう」と言っているのではなくて、お互いに言い合うのが自然になっています。



つい最近、またお互いにびっくりしたことがありました。
それは「文章の読み方」の違いです。

これはぜひ、パートナー、お友達、ご家族で試してみてほしいなと思います。

自分自身が「文章をどのように読むか」を、改めて言葉にして、聴き合ってみてください。

我が家はお互いに「へえーーー!!!!」「ええ?そんなふうに読んでるの?!」とびっくり。
これは本や新聞だけでなく、たとえばFacebookのタイムラインの見方や、メールの読み方などでも同じことが言えます。

そして、夫の「読み方の特徴」がわかって、これまでの様々な謎が解けました。詳細は伏せますが(笑)、それからはなるべく、こちらから送るメールに、彼が読みやすいような、ある工夫をするようにしています。

「なんでそうなの?!」と責めたり、矯正を求めたりするのは簡単ですが、会社ではないのだし。

我が家ではお互い、夫婦間では、こんなふうに相手の特性を知り、工夫することで物事がお互いの関係がスムーズに行けばそれで良いと思っているんです。
自分のことも、相手のことも、そのまんまを受けとめて、あくまでも穏やかに、いっしょに暮らしていく。でも、他の人間関係や環境がかかわってくる場合は、「こうしたほうがいい」など、はっきり意見し合っています。

これからも、まだまだ色々な発見がありそうです。

冷蔵庫の中でも、ちょっとしたことでコミュニケーションできるの例。
「どうぞって書いてあったから食べた」と言われたときは嬉しかったです(笑)。
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by rapisblue2 | 2014-04-30 18:45

期間限定『ソラマチ絵本ひろば』で読んだ『よい絵本』

午前中の都内での用事を終えてから、ちょっと足をのばして、スカイツリーのお隣ソラマチに行ってきました。オープンしてからもうすぐ2年なのですね!押上は乗り換えで通っていたものの、中に入ったのは初めてでした。
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5Fのスペース634にて、GW期間限定でソラマチ絵本ひろばpresented by 三省堂書店が開催されています。
絵本好きの大人にもうってつけ!
本格的な連休に入るとかなり混むかと思いますが、カレンダーで平日の今日はガラガラで、点在する椅子はどこでも自由に座れるし、絵本は気をつかうこともなく選びたい放題だし、とても贅沢な時間を過ごしました。予約していたランチの時間までの小一時間、何冊読んだでしょうか!

絵本と言えば表参道のクレヨンハウスも大好きですが、ふらりと立ち寄ったつもりが、意外とエネルギーがいる時があります。ずらりとひしめき合う絵本はもとより、POPなどの情報が多くて圧倒されてしまったりして。
ソラマチ絵本ひろばは、種類も数もかなりしぼられているし、期間限定のせいか会場もつくりこんでおらず、言ってしまえばチープ感があるのですが、そのぶん表紙やタイトルで感覚的にピンときたものを手にとり、すぐそばの椅子に腰掛けてひらく。その繰り返しを、何度でも純粋に楽しめました。

わかりやすいことに、ピックアップされているのは全国学校図書館協議会認定『よい絵本』に選定された絵本たち。(リンク先で、よい絵本の歴史背景や一覧を見ることができます)

わたしは何にしても「これいいよ!」という言葉を鵜呑みにはしない質で、CMやキャンペーンなども自分が体験して「いい!」と実感するまでは、大事に温めたり、けっこうクールに受け流したりするのですが、これは絵本でも同じで・・・
書店で『よい絵本』の帯を巻かれた絵本を見ると、いい気持ちがしませんでした。
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絵本の場合は「よいかどうかは自分が決める」という以前に、すてきな表紙デザインがこの帯のせいで隠れてしまうし、そもそも一律にレッテルを貼られているのが絵本売り場の景色として美しくないので、いやなのです。それで、手にとることすら憚られることも少なくありませんでした。

そんなわたしが、今回は実際に『よい絵本』ばかりを何冊も読んだわけですが、悔しいけれど(?)ほんとうに、たしかに、どれもそれぞれによかったです(笑)!!

幼い子向けのほのぼの繰り返し絵本かと思いきや、最後にびっくりさせられる深〜い言葉が待っている絵本もあれば、
人権問題、環境問題といった重たいテーマのもの、海外、日本のそれぞれの文化や歴史など・・・ほんとうに幅広い絵本が選定されているということがわかりました。
あの帯はやっぱり気に入らないけれど、これからはもうすこし手にとってみようと思います。どうしても、自分の感覚で選ぶと、似たようなテーマやテイストの絵本ばかり集まってしまいますからね。(例えばわたしは、食べ物にまつわる話、感情を見つめるもの、優しさ、自然についてのテーマが多くなっちゃう。)

これは家庭ならともかく、保育現場で課題とされる部分だと、どこかで聞きました。たしかに、子どもたちが年間を通して、バランスよく様々なお話に触れられるようにするためには、意識して、個人的な嗜好をはずす必要があると思います。

今日、最後にビビッと来て購入したのは、こちら『ふしぎなたけのこ』
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ちょうど季節的なものもありますが、なんというのでしょうね、登場人物が皆、とてもとても、じーんとするほど健気で、古く良き日本人らしいなあとつくづく思う、そんな内容なのです。
昔話って勧善懲悪ものが多い気がしますが、これはそうではない。
あとから知ったのですが、この絵本の瀬川康男さんの躍動感あふれる絵は、1967年の第一回世界絵本原画展でグランプリになったとのことです。また一冊、大切にしたい絵本にめぐりあえて、うれしくなりました。

他にも印象に残ったのは、『ペレのあたらしいふく』
さすがベスコフさん。奥深さと絵の美しさの余韻に、絵本を閉じてからもしばらく浸りたくなります。
やっぱりいいなあ。またあの世界観に触れたいです。

ソラマチ絵本ひろばは5月6日まで。連休中はワークショップ、紙芝居、撮影会などの企画もあるそうです。



・・・おまけ・・・

ランチは、ソラマチ最上階にあるLA SORA SEEDへ行ってきました。
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前菜のあと、野菜は写真のように好きなだけビュッフェでいただけます。悩んでしまう種類の塩がずらり並び、レモン2種、オリーブオイル2種、ドレッシング2種も好みで。山形の在来作物を守る人々を追ったドキュメンタリー映画『よみがえりのレシピ』で登場した、奥田シェフがメニュー監修をされているそうです。いちばんライトのコースでは、このあとメイン、デザート、ドリンク。わたしはメインの後にもう一度、ビュッフェでお野菜をたっぷりいただきました。

自然食をうたっていても、化学調味料で舌がびりびりイガイガしたり、質のよくない油で気持ちわるくなったりするお店もあるのですが、こちらでは食後にそういうことがありませんでした。お店のコンセプトを信じて今回わたしは特にお願いしませんでしたが、予約の電話、さらに当日席についた時も再度、「アレルギーなどはございませんか」という確認があったので、相談すればベジタリアン対応もしてくれそうな雰囲気でしたよ。

最近ますます舌が敏感になっているわたし…
夫が「うん!ここは怜子が不機嫌にならないね!」と言いながら野菜をモリモリ食べていたので、吹き出してしまいました。
by rapisblue2 | 2014-04-28 21:01 | 絵本のせかい

『お産を楽しむ本 どこで産む人でも知っておきたい野生のみがき方』出版記念イベント@国分寺カフェスロー

この度出版された立川・まんまる助産院の書籍『お産を楽しむ本 どこで産む人でも知っておきたい野生のみがき方』の出版記念講演会に行ってきました。
場所は国分寺のカフェスローさん。何かと耳にするこのお店の名前。ずいぶん前からずっと行ってみたかったお店に、やっとのことで。広々としてぬくもりのある温かい空間でした。
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イベントでは、まず、まんまる助産院の紹介映像『まんまる ザ ムービー』(説明はほとんどなく、どちらかというと、イメージ映像で感じるという雰囲気でした)の上映、
その後、この本のテーマとなっている 「野性のみがき方」について、まんまる助産院院長・椎野まりこさんと、著者の上原有砂山さんのトークセッション。

後半は、国内外で活躍中のシャーマン&アーティストである Telespiarna Keikoさんとそのお仲間で繰り広げられるMusicLive「野性を感じる音の時間」。

「野生」ってなんだろう? を、考える間もなくめいっぱい感じさせてくれるような、心が輝いてくる素敵な夜でした。

わたしは、まんまる助産院のことも、助産師・椎野まりこさんのことも、彼女がもともと勤めていたという国分寺の矢島助産院のことも、このイベントで初めて知りました。どちらの助産院も、できるだけ自然なお産をと求める女性たちから、かなりの支持を得ているようです。

まんまる助産院のムービーを観て感じたのは、思っていたよりもずっと「野生」を大切にするところなのだなあということ。吉村医院のような、古くからの日本のお産を継承する産院のことは見聞きしてきましたが、まんまる助産院は(行ったことはないので、あくまでも印象ですが)妊婦のための『お産がっこう』という名のクラスが開催されており、アフリカンダンス、オーラソーマ、中南米の民族楽器などをつかったセラピー、コラージュやにじみ絵などのアートセラピー、お灸、インナーチャイルドワークなどなど、大いなる自然とつながるライフスタイル好きな人は一通り体験するであろう、あらゆるものが勢揃い!テーマは「自分に向き合う」ですよね、ここはやっぱり(笑)。
スピリチュアルな雰囲気もにじみ出ていて、助産院でこんなところがあるんだなあとけっこうびっくりしました。かなり引く人、ものすごく惹かれる人に分かれるでしょうね。(もちろん、病院との提携はしっかりしています。) 想いの強い人たちが集まってくるでしょうから、そういう関係づくりや対話が好きな人はかなりハマることでしょう。

とはいえこちらの本では、医療介入なく自然につるんとお産ができ、おっぱいをあげられたら、それはほ乳類として素敵なことだけれど、そればかりにとらわれないで、というメッセージも同時に送ってくれています。(大葉ナナコさんの誕生学セミナーでも、同様のことを聞きました。)

たとえば以下の部分(本書より抜粋)です。


●助産師として、いろんなお産に立ち会えば立ち会うほど、「自然分娩、最高!」って言えない自分がいる。それは「自然に生まないと子どもにトラウマが残る」という話への違和感でもある。下から産めれば、いいのか?そうじゃなかったら、ダメなのか?自然分娩が素晴らしいのは、確かです。でも、それがすべてじゃない。

●多くの女性と話をして実感したのは、「帝王切開でも吸引分娩でも、真剣に心から自分のお産に向き合った人は、お産が、より自分らしく生きるきっかけになっている」ってこと。(中略)ちゃんと自分に向き合うなら、産み方に優劣はない。(中略)お産ってすごい。カタチじゃない。それなのに、「自然に産めば、産後が楽なんですよね。自分が変わるんですよね」って、カタチを求めて私の話を聞きにくる人がいる。でも、順番が違う。

●「遠くの聖地を拝みに行くより、日常をていねいに感じることで見える真実」という表現があるけれど、お産も同じ。(中略)たとえば、妊婦のときは、わざわざどこかの大自然に行かなくても、いつもの街で、自分の原始的な感覚を呼び起こせますね。(中略)お産は、特別なことだけど、日常。だからこそ、特別なことを特別にしちゃうのは、ちょっと違う。「理想のお産」を絵に描いた餅のように空想しないで!お産は、その時限り。その特別な時間を逃さないためにも、日常にいてほしい。

●布団でも分娩台でも、どこでも気持ちよく産めるしなやかな心と体になって!そうしたら、気持ちいいお産になりますよ。



わたしも正直なところ、自然なお産への憧れというものが強かったです。どうしても興味があるので、そっちに偏った本や映像ばかりに触れていたせいもあります。でもここ数ヶ月、実際に妊娠出産を体験した身近な人たちの話を聞くことが多くなるにつれ、しょせん本は本なんだと思うようになりました。

経験豊富でカリスマ的な助産師さんや産科医、ヨガティーチャーの書く本には、最もなことが書いてあるのかもしれません。もちろん参考になることはたくさんあります。でも、そこで読んだ内容にとらわれて、目の前にいる友人知人の口から語られる実体験を聞き流しては「ほんとはそうじゃないのに」などと思ってしまっている自分に気づき始めたとき、なんだかものすごく嫌だったというか、情けなくなったんですよね。本で読んだだけの人の体験と知識を、まるで自分の哲学のようにして・・・、わたし何様なのよって話ですよ。

これ、食と同じですよね。
マクロビオティックなのか、ベジタリアンなのか、ただの野菜好きなのか、はたまた贅沢な偏食家とも言えるかもしれない。食に関しては自分で人体実験や色々な経験を数年以上してみてこそ言えることが、わたしにもありますが、お産に関してはまったくの未体験。もっと謙虚でいたいなあ、目の前の体験者たちとのおつきあいを、大切にしたいなあ。そんなふうに思っている今日このごろです。

この『どこで産む人でも知っておきたい野生のみがき方』の著者、上原さんがおっしゃっていて印象的だったのが、「お産を楽しむ、とありますが、ほんとうはそのまま、人生を楽しむ本、としても置き換えられると思っているんです」という言葉。
全体を通してお産がテーマなのはもちろんですが、たしかに上記抜粋部分においては、ほかのあらゆる「思い込み」に置き換えられると思います。


最後に、びっくり仰天した人形を紹介します!!
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洋服を脱がせると・・・おなかの大きい妊婦さん。
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さらに下着を脱がせてあげると・・・赤ちゃんの頭がでているよ!うまれるよ。
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出てきた!
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すぐにおっぱいを吸わせましょう。(スナップボタンで、おっぱいと赤ちゃんの口がしっかりくっつきます)
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胎盤も出てきたね。ここから栄養をもらっていたんだよ。へその緒もボタンで取り外しできます。



これはブラジルのお産環境を改善するために作られたお人形だそうです。こういうお人形で、子どもたちがふつうに遊んでいる光景を想像できますか?

何もこんなもので遊ばせなくても・・・という感想を持つ方もいると思いますが、わたしは肯定的です。というのも、いま、子どもたちの『家族ごっこ』(わたしたちの世代ではお母さんごっこと言っていました)でいちばん人気なのが、赤ちゃん役やペット役だと言われています。お母さん役をやりたがる子は少ないのだそうです。(しぶしぶお母さん役になった子は、レンジ料理をし、スマホ片手に抱いたお人形に授乳ケープをかぶせてしまう・・・という極端な例も。)
この情報を得て、「ほんとうに?!」と半信半疑で保育士仲間などからも意見をもらいましたが、どうやら事実のよう。

大人だって、赤ちゃんがどうやって出てくるのか、へその緒って、胎盤って何なのか、知らない人もけっこういるのではないでしょうか? 学校の性教育では、カラダの仕組みや避妊については教わっても、妊娠出産については深く触れないことが多いです。わたしも30代になるまで、胎盤が何たるかをきちんと知りませんでした・・・。

助産院では、上のお子さんをお産に立ち会わせることも珍しくないようです。以前は、母親の苦しむ場面を子どもに見せるなんて、そんなことわざわざしなくても・・・と思っていましたが、命を産み出すという母の大仕事を見届けた子どもたちの眼差しの美しさ、家族の一体感を写真集で知って、気持ちが変わりました。

絶対に見せるべきということではないですが、これはこれでとても意味があり、それこそ生き物としての「野生」を現代社会で感じることができる、数少ない場面なのは確かですし、すてきなことなんだなと思っています。「いや、出産は夫婦だけの、もしくは母だけの、あくまでもプライベートなものだよ、すべて見せるのがいいとは思わない」という意見もまた、わかりますけれどね。

そういう議論とは別に、このお人形のように小さなころからお産の仕組みを自然に知ることができる環境は、あってもいいんじゃないかと思いました。誕生学で「エロが芽生える前に伝えるのが大切!」と言っていたのにも通じるものがありますね。どうして動物や昆虫の生殖は学ぶのに、自分たち人間のことは学ばないんでしょう、不思議な仕組みです。


・・・おまけ・・・
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別の用事で出かけていた夫が、ちょうどイベント終了後にカフェスローで合流。夫が好きそうな楽器を吹いていたLIVE出演者のアンディさんを紹介したところ、「僕も楽器好きで!」と、持っていたアサラトという打楽器を振り始め・・・やさしいアンディさんが応えてくれて、出会って数分で即興セッションが始まりました。
一緒に車で帰ろうというだけの誘いで呼んだだけでしたが、ちゃっかりしっかり楽しんでいる彼を見て、あいかわらず社交的な人だなーと笑ってしまった妻なのでした。
by rapisblue2 | 2014-04-21 16:31

動画『This will change you in exactly 60 seconds』を観て言いたくなったこと

この動画、もともとのタイトルは上の通りです。でも最初に出会ったのは、こちらの日本のサイトでした。

60秒後、あなたの行動を変える動画。変わらなかったらガッカリ

海外の様々な動画に、いかにも!なタイトルで視聴者を集めているサイトですが(苦笑)、はてわたしはどうだろうか、という興味で再生ボタンをクリックしました。

結論としては、わたしはおそらくこの動画をシェアしている多くの人たちの意図とはちがう意味で、動きました。なんだかこの違和感のようなものを書かずにいられなくなり、半月ぶりにブログを開いたのです。

わたしは映像評論家でもなんでもないので、この動画をあれこれジャッジするつもりはありません。
ただ、このように共感を呼び広まっていること、また、そこに残されているコメントなどを見れば見るほど、受け取り手に、圧倒的に足りないものがあると思いました。

それは子どもの気持ち、子どもの立場です。

children see. children do.

この言葉にズキンとしたのは、わたしも同じです。本当にその通りですから。

でも、

「子どもは被害者だ、かわいそうだ、自分たち大人がしっかりしなくては。今から自分の行動を見直そう。子どもたちのために。」

そんなふうに、ただ大人たちが盛り上がっているだけなのです。

この構図こそ、わたしは、子どもという存在が大人の自己啓発のために都合よくつかわれているにすぎないと感じます。

わたしたち大人は、このような痛々しい動画を見せつけられなければ、自分の行動を変えられないのでしょうか。
だとしたら、それこそが問題だと思いませんか?

「胸にささった、反省した。みんなも観て。」

その程度でシェアが広がっていくことが、なんだか・・・

ねえ、もう一歩、踏み込んでみて。

このような動画が制作されなければならない現状そのものに、もっと疑問を持つ人がいても良いのではないかと思うのです。



とは言え、わたしがもともと保育の道に進んだのは、自意識過剰で自分を「かわいそうな子ども時代を過ごした被害者」だと思っていて、自分のような被害者意識を持つような子どもを育てたくない、子どもを救いたい、という強い思いからでした。
いま思うと、「わたしは幼稚園の先生になるのが夢なんて思ったことない。子どもが大好きなわけじゃない。」と、周りとの違いをあえて強調したり、だからこそ使命だと思って燃えてみたり、そんな自分に酔っている時もあったような気がします(ああ、恥ずかしい)。

さらに思うのは、子どもを救いたいっていうより、ほんとうのところは自分自身のすべてを認め、許し、救いたかったんだろうなということ。



わたしは人の心や思考の成長について考え続けてきました。
とくに、信頼する方のもとで自らの過去と現在を行き来しながらの棚卸しとアウトプットを定期的に行ったこの1年〜2年くらい、たくさんの「思い込み」が外れ、新しい考え方がどんどん展開していくのはとても面白かったです。これは今も、日々継続中。

それで上記の「ほんとうのところは」にプラスして最近思うようになったのは、
わたしの思いって、エゴだったんだなあということ。

「わたしがしっかりしないと、子どもはみんな真似してしまうんだから、いつもお手本でいるべき」って思っていて、うん、たしかに保育のプロとしては当然あるべき考えなのですが、これってそのまま親子関係に持って行くと、かなりつらいことになるわけです。

でも今は情報過多で、先に答えを知ってしまう。

『育児は育自』

『教育は共育』


こういう言葉ばかりがひとり歩きして、実態がとらえられないまま、「頑張らなければいけない」「自分てダメだなあ」なんて、がんじがらめになっている保護者の方は世の中たくさんいるのではないでしょうか。

この言葉の発祥は知りませんが、「決して大人がえらいのではないよ、大人も子どもも一緒だよ」というあくまでもやさしいニュアンスのメッセージだったかもしれないのに、大人が過剰反応し、まるで教訓のようにとらえて自分の首をしめるようなつらい言葉という位置づけになってしまっていたら、とても残念なことです。

子どもは、助けてあげなくちゃいけない守るべき存在というよりも、ものすごくたくましい存在なんですよね。未熟だからこそケアやサポートは大切だけれど、本来はちょっとやそっとで折れない生命力や向上心を、みんなが持っているはずなのです。
大人がかわいそうって思っているからかわいそうな子になる。守らなきゃと思っているから、守ってもらわないと立てない子になる。

「わたしのせいでこの子はこうなってしまった」と後悔したいなら、とことん後悔すれば良いと思います。それは自由です。
でも、子どもにそのことは関係ない、その後悔を押し付けるべきではないということを覚えておく必要があります。
子どもには、今後彼らが彼ら自身で、感情も思考も行動も選択していける自由があるのですから。
わたしはその自由に気づいた時から、これをしっかり行使しています。
そう、かつて子どもだった大人たちも同じです。

みんなが自律した思考を持てたとしたら、ひとりの大人の人生が、ひとりの子どもの人生を傷つけることなんて、できないはず。大人どうしであっても同じだと思います。傷つける、傷つけられた、と言うけれど、自分の心をちゃんと自分の持ち物にしていたら、何を言われても人のせいにはできないし、ならないと思うのです。
悲しみや怒りの原因のほとんどが自分の中にあるものですが、それをすり替えて、「スイッチを入れた人」のせいにするというコミュニケーションで、わたしたちはもったいないことをたーくさんしているのではないでしょうか。


子どもにとって、近しい大人が美しい所作や言葉、笑顔をまとい、知性があり、愛情深い人間であるのに超したことはありません。
だから、紹介した動画の言いたいこともわかります。
これを観て本当に、行動を改める人もいるでしょう。

けれどその先に「自分が変わったのだから子どもも変わってくれるだろう」と期待するのなら、何かがずれているかもしれません。

自分は自分のために、自分がしたいからするだけ。

自分の行動とは切り離した上で、子どもの選択を見守り、信じて応援するだけ。

真のフェアな関係って、そういうことなのではないでしょうか。


…この記事、言いたいことが伝わるかどうか、あまり自信がないなあ。
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…なんて思いながらいったん下書きボックスに保存していたのですが、以前立ち読みしたこの本のことを思い出して、さきほど外出先で購入してきました。

間違いありません。これに、すべて書いてあります!対話形式なので読みやすいですし、わたしがごにょごにょ書いた上の文章より、すばらしく簡潔でわかりやすいです(笑)。

以下、目次より抜粋です。


トラウマは、存在しない

人は怒りを捏造する

過去に支配されない生き方

あなたの不幸は、あなた自身が「選んだ」もの

人は常に「変わらない」という決心をしている

自慢する人は、劣等感を感じている

「あの人」の期待を満たすために生きてはいけない

ほんとうの自由とはなにか

叱ってはいけない、ほめてもいけない

「勇気づけ」というアプローチ

人は「わたし」を使い分けられない

自己肯定ではなく、自己受容

人はいま、この瞬間から幸せになることができる

無意味な人生に「意味」を与えよ



…いかがでしょうか。

気になる一節だけでも、読む価値のある本。おすすめです。
by rapisblue2 | 2014-04-15 22:09 | まじめなお話